災害への備え

和歌山県・広川町の津波防災の取り組み(後編):町の功労者の生きざまをなぞりながら津波と向き合う

前編で紹介した「稲むらの火の館」を構える、和歌山県有田郡の広川町。訪れて感じたことは、津波に対する防災意識の高さです。稲むらの火の館の館長である﨑山光一さんに、施設の位置づけや町の防災活動などをうかがいました。


前編はこちら↓↓↓
▼和歌山県・広川町の津波防災の取り組み(前編):過去の逸話から生まれた施設で身を守る方法を学ぶ
http://rainbow.nttdocomo.co.jp/disaster/detail/42
▼稲むら火の館ホームページ
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/

町中のあちこちで見かける避難場所案内図や津波サイン標識
日常風景に溶け込み、防災意識が醸成される

稲むらの火の館の最寄り駅からの道のりを歩くと、通りのあちこちに避難場所や経路が記された案内図や地盤の高さを示す津波サイン標識が目に飛び込んできます。町の中央に川が流れ、役場などが集まる地帯は海に面している広川町。およそ100年に一度の周期で、大きな地震や津波に見舞われる歴史をたどってきました。その中で、防災に必要な基本的情報の周知が、町全体で日常生活に溶け込みながら整っていった印象を受けます。

稲むらの火の館のスタッフで広川町育ちの上田比佐さんは、子どものころに言われた「地震が来たら(高台にある)八幡様(広八幡神社)に逃げるんや」というお祖父さんの言葉を、今でも鮮明に覚えているといいます。

「私の家は海の近くだったこともあり、祖父は津波を強く警戒していました。揺れの小さな地震のときに油断していたら、ものすごく怒られたこともあります」と上田さんは話してくれました。

広川町と津波は切っても切れない関係にある中、自然と防災に対する心掛けが根づいているのを感じます。

  • 町中のあちこちで見かける避難場所案内図や津波サイン標識 <br>日常風景に溶け込み、防災意識が醸成される</br>

    公民館前に設置された避難マップ

津波から命と暮らしを救った村の英雄
世界中に逸話が知られる濱口梧陵

広川町の防災は、地元(当時は広村)出身の事業家・政治家の濱口梧陵(1820~1885)なしに語ることはできません。

12歳で醤油製造業を営む本家に養子に入り、銚子に移った梧陵。紀伊半島全域に大きな被害をもたらした「安政南海地震」(1854年)が発生したのは、ちょうど広村に帰省していたときでした。地震が起きてすぐ津波を危惧した梧陵は、村人たちを高台へと避難させます。さらに梧陵は、実家の田んぼに積まれた稲むら(稲わらを積み重ねたもの。家の屋根や草履の材料に使われた)に火をつけ、暗闇でも避難場所が分かるように誘導したのです。ほかの村では数百人と犠牲者を出す中、広村では9割以上の村人が無事でした。

梧陵はその後、私財を投じて沿岸に防波堤をつくることを決めます。4年弱の工事の間に、延べ57000人を雇用。震災で家や田んぼをなくした、村民の暮らしを救いました。長さ600mの「広村堤防」は、昭和21年の昭和南海地震の際、居住地区の大部分を津波から守りました。

梧陵の活躍は後年、「稲むらの火」という文学作品のモデルとなり、さらに2018年には『「百世の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~』のストーリーが日本遺産に認定されました。

  • 津波から命と暮らしを救った村の英雄<br>世界中に逸話が知られる濱口梧陵</br>

    海沿いにのびる広村堤防

「梧陵の功績を後世に伝えたい」、
市民の想いが町を動かし施設が誕生

後に初代駅逓頭(後の郵政大臣)や初代和歌山県議会議長にも就任するなど、広川町を代表する英雄として語られる濱口梧陵。「稲むらの火の館」の設立は、町民たっての願いだったと館長である﨑山光一さんは話します。

「広川町には、『耐久大学』という高齢者大学講座があります。“耐久”というのは、濱口梧陵が幕末に仲間と一緒につくった私塾、『耐久社』からきています。あるとき耐久大学に参加する学生が『梧陵の功績を後世に伝えていきたい』と、記念館創設に向けて募金や署名活動を始めたのです」

町内のイベントなどでも募金活動をしていたところ、その取り組みが地元の新聞に取り上げられました。そして記事を見た親族が、梧陵の生家と周辺一帯の土地を広川町に寄付したのです。

5000平方メートルを超える敷地に記念館だけではもったいないと、関係者の意見は一致。そこで津波防災教育センターを併設し、濱口梧陵記念館と合わせて「稲むらの火の館」が誕生しました。

  • 「梧陵の功績を後世に伝えたい」、<br>市民の想いが町を動かし施設が誕生</br>

    大口寄付をした人の名前が入口に

人口7000人の町に年間30000人が来場
県外や海外からも注目が集まる

開館から10年あまり経った「稲むらの火の館」ですが、これまで多くの人が施設を訪れています。

「年間の来場者はおよそ3万人、そのうち7000~8000人が子どもたちです。教科書に稲むらの火が取り上げられていることもあり、授業の一環で訪れるケースも多いですね」と崎山さんはいいます。

防災に関心の高い地域の民生委員や、東北地方を中心に自治体も視察にやって来るそうです。取材当日も、大阪府和泉市から市民グループが見学に訪れていました。また海外からも、毎年数百人が訪れるそうです。

「2018年は10月に『世界津波の日』高校生サミットが和歌山県で開催されたこともあり、1年間で64カ国から700人以上が来場されました。最も多いのは中国で、続いてアチェ津波博物館との連携もありインドネシアですね。先日はアメリカから50人ほどの中学生がやって来ました。地理上、津波は起こらない地域とのことですが『洪水やハリケーンなどに置き換えると、他人事ではない』と引率の先生が話していました」

  • 人口7000人の町に年間30000人が来場<br>県外や海外からも注目が集まる</br>

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津波の恐ろしさ以上に対処法に重点
学びに楽しさと鮮度を盛り込む

施設内の津波防災教育センターには、「津波シミュレーション」や「INAMURAレンジャー」など、思わず夢中になるアトラクションが揃っているのが印象的です。

崎山さんはそのねらいをこう説明してくれました。「子どもたちが楽しんで学ぶことを、最も大切にしています。津波の危険性や災害だけにフォーカスすると重苦しくなり、『災害時にどう対処するか』という最も重要な学習ポイントが抜け落ちてしまいがちです。そのため導入部分で子どもの興味を惹きつけることは、強く意識しています。幸い『3D津波映像シアター』は和歌山県が出資するなど、周囲の協力もあり、実現できています」

また、見学していて驚いたのが、情報の鮮度です。﨑山さんは、「この施設がオープンして10年以上経ちますが、その間に東日本大震災に世界津波の日の制定、アチェ津波博物館との連携など、津波や広川町にまつわる出来事が豊富だったのも大きいです」と話します。

ビデオで「釜石の出来事」を取り上げたり、被災時の対処法に「被害届を出す」「伝染病の予防接種を受ける」「地域との連携」を挙げたりと、東日本大震災で得た教訓を盛り込むなど、リニューアルにも精力的です。

  • 津波の恐ろしさ以上に対処法に重点<br>学びに楽しさと鮮度を盛り込む</br>

    津波防災教育センターのPepper

津波防災の普及に継続的に取り組む
2つのお祭りで歴史を再確認する機会も

稲むらの火の館では、町内全戸に配布する『やかただより』を発行し、防災の有識者に話を聞く「稲むらの火講座」も開催しています。津波防災の理解浸透には、継続的な取り組みが不可欠と考えているからです。
(『やかただより』は広川町役場ホームページにも公開されているので、町外の方も見ることができます)

「過去の記録によると、広川町では津波の被害に8回あっています。町が最も栄えていたのは室町時代で、実は今の住宅数も当時の水準に達していません。大きな地震や津波は、それだけ深刻なダメージを与えるのです。津波の脅威にどう備えるか、伝え続けることはとても重要です」

継続性を支えるのが、広川町に伝わる2つのお祭りです。安政南海地震で亡くなられた方を慰霊する「津浪祭」と、2003年から町民主体で始まった「稲むらの火祭り」です。崎山さんは、「津浪祭は120年続く伝統行事。毎年地元の小中学生が、広村堤防に盛り土をして堤防を補強します(現在は形式的)。また稲むらの火祭りでは、かつての梧陵のように闇夜に松明を掲げ、300人以上の参加者が町中を練り歩きます」と教えてくれました。

両方とも、先人の行いを振り返る貴重な機会となっています。

  • 津波防災の普及に継続的に取り組む<br>2つのお祭りで歴史を再確認する機会も</br>

    稲むらの火祭りのようす

伝承の主役は子どもたち
梧陵の心意気は津波防災の道標

津浪祭に小中学生が参加するように、津波防災の伝承の主役は子どもたちです。﨑山さんもメンバーである「広川町語り部サークル」では、「梧陵語り部ジュニアクラブ」を結成。2018年は地元の小学生10人が参加しました。

「はじめは小学生には難しいかな…と思ったのですが、彼らは1年間粘り強く、津波防災や稲むらの火、梧陵のことを学んでいました。2月の発表会は大盛況。地元マスコミも取材に来るほどでした」。稲むらの火の館でも関西大学や龍谷大学の学生と連携し、「子ども梧陵ガイド」の活動を始めています。子どもたちが来場者にクイズを出題するなど、アテンドを通じて防災や広川町の歴史を学んでいきます。

﨑山さんは濱口梧陵という偉大な存在が、広川町の津波防災を支えていると語ります。
「彼は村の大地主でしたが、あぜ道では村民に道を譲り、丁稚に先に食事させるなど弱者にとても優しかったといいます。津波防災だけでなく、梧陵さんの心意気も含めて丸ごと後世に伝えていく。私自身、ものすごい仕事をさせてもらっていると改めて感じます」

村人たちを救うため、ためらうことなく稲むらに火をつけた濱口梧陵。当時の灯火は、時代を越えて広川町の津波防災の道標となっているようです。

  • 伝承の主役は子どもたち<br>梧陵の心意気は津波防災の道標</br>

    稲むらの火の館にあるレリーフ
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