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荒木幸子さん

震災から8年 福島沿岸部の教師と子どもはどう過ごしてきたか

荒木幸子さん

今回は5月15日に、毎日新聞東京本社「毎日メディアカフェ」で開催されたセミナー「震災・原発事故を乗り越える 〜福島県沿岸部の教師と子どもたちの8年〜」をリポートします。講師を務めた荒木幸子さん(写真)は、1982年から福島県いわき市、相馬市、南相馬市などで教諭、教頭、校長を務めてきました。震災後は、南相馬市立小高中学校・双葉町立双葉中学校と楢葉町立楢葉中学校の学校再開に取り組んできた荒木さん。震災によって予期せぬ避難や転校などに直面しながらも懸命に生きる子ども達、そんな子どもたちに向き合い続ける教員の姿を、1人でも多くの人に知ってもらいたいという思いから講演活動を行っています。今回のセミナーでは、荒木さんが2016年4月から校長を務めた楢葉町立楢葉中学校の震災後8年間の歩みを中心に話が進みました。

楢葉町に戻る子ども達に絶対、不自由な思いはさせない

荒木さんは、震災後から5年間、避難所となった学校の運営や休校となった中学校の開校準備などに尽力しました。そして2016年4月、楢葉町立楢葉中学校の校長に就任します。

楢葉中学校の生徒たちは、福島第一原発事故の影響で地震の翌日には全町避難となり、日本全国の学校に転校を強いられていました。その状態は約1年続き、楢葉中学校の教員たちは兼務(他校に勤務)しながら、転校した生徒たちがいる学校を訪問したり、防護服を着て学校から重要な書類や教材を持ち出したりなど、そのときできる精一杯のことに取り組んでいました。その後、楢葉小・中学校はいわき市にある仮設校舎で開校し、震災前の約6分の1の生徒たちが戻ってきたのです。荒木さんが校長に着任した当初も、生徒たちは仮設校舎で勉学に励んでいました。

そんな中、再び楢葉町にある本校舎に戻ることが決まります。荒木さんは早速、移転の準備に取り掛かりました。しかし、事は順調に運びませんでした。「本校舎へ通わせるか」という保護者の意向調査を実施したところ、多くが「わからない」と回答したのです。すでにいわき市に新居を建て、新しい生活を始めていた家庭が多く、楢葉町まで通うのが困難であることなどが理由でした。

それでも荒木さんは、「戻ってきてくれる子ども達に絶対に不自由な思いはさせない」という強い意志を持ち、教員一丸となって綿密に移転の計画を立てていきました。「最初は図書のみを動かし、次は体育と家庭科の終了した分野から動かす」というように4回に分けて移転を実施し、教育活動に支障が出ないよう配慮をしたのです。最終的には、仮設校舎に通っていた中学1・2年生全員が楢葉町の本校舎に戻ってくれたそうです。

熱心に耳を傾ける参加者。会場は満席でした。

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楢葉町に子どもと教員の笑顔が戻ってきた

荒木さんが「一生記憶に残る日」と話したのが、2017年4月に行われた本校舎での開校式・入学式でのことです。7台の通学バスが本校舎に到着するたび、楢葉町に暮らすおじいちゃん、おばあちゃんが「おかえりー!」と声をかけながら、ならは天神太鼓で出迎えました。緊張した面持ちだった子どもたちの顔が一瞬で明るくなったそうです。

「木戸川のサケがかえってくるように、楢葉の子ども達が楢葉にかえってきました。私たちは夢いっぱいの、希望いっぱいの楢葉町で未来を目指していきます。今日から楢葉の子ども達は楢葉で生きていきます」

開校式で3年生の宮本さんが話した「希望の言葉」には、胸が熱くなったといいます。そして、「子ども達だけでなく、教員たちの顔も明るくなったことに驚きました。みんな、仮設校舎での授業は本当に辛かったのだなとしみじみ感じました」と当時を振り返りました。

2017年4月、6年ぶりに楢葉町での学校生活がスタート。開校式・入学式では、生徒たちや参列者に笑顔が広がりました。

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多くの人の支援を受け、独自色のある教育の実践を目指す

本校舎の開校に伴い、多くの人が楢葉中学校の学校運営を盛り上げてくれたそうです。運動会では、日体大の清原伸彦先生が集団行動を指導してくれ、元読売巨人軍の鈴木尚広さんはリレーに参加してくれました。フィギュアスケートの羽生結弦選手は、国民栄誉賞を受賞した翌日に学校をサプライズ訪問。荒木さんは、「多くの方々が心を寄せ、支えてくださっていることを私たちは忘れてはいけない」と子ども達にいつも話していたそうです。

荒木さんや教員たちも、新たなスタートを切る楢葉中学校ならではの教育を実践することに専心しました。地域と共に歩む学校を目指し、老人クラブとの交流、町内での福祉体験や職場体験、小・中・町民運動会など、地域の協力を得ながら独自色のある教育を進めています。全教室に電子黒板を設置し、生徒一人ひとりにタブレットを所持させるICT教育の充実も、全国トップレベルの水準となっています。

このほか、ファイナンシャルプランナーとの人生設計、キャビンアテンダントによるマナー講座など「キャリア教育」にも力を入れています。起業家教育としては、模擬会社Nalys(ナリーズ)を設立し、生徒が考えた地元の名産「ゆず」を使用したアイデアを企業とコラボし、商品化しました。これは、「東京日本橋ふくしま館」で実際に販売を行い、売れるかどうか不安と期待が入り混じる中、用意した商品はほぼ完売という結果を残しました。イベント後、「こういう経験はほかの中学では絶対にできない。楢葉中学校に戻って来て良かったです」と言ってくれた生徒が何人もいたといいます。荒木さんは、「やって良かった」と心から感じたそうです。

少人数学級の良さを活かし、ICT教育の導入や外国語教育の充実、実践的な体験学習など質の高い学校教育を目指してきた荒木さん。一人ひとりの生徒を温かく見守ってきました。

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震災から得た教訓を、教育現場にも活かす

楢葉中学校では、安全・安心に暮らすための避難訓練にも抜かりはありません。荒木さんが震災時に教頭を務めていた南相馬市立小高中学校では、津波により4人の生徒の命が奪われました。「津波に対する教育を十分にしていなかったことを、今も後悔しています」。その想いが、今の取り組みにつながっています。

また、原子力災害避難訓練も定期的に実施。震災時、すぐに自宅に帰れると思って、お金も食料も何も持たずにとにかく逃げることだけを考えたそうですが、実際には長期にわたる避難となりました。大変不便な生活に見舞われた経験から、「原子力災害避難では、必要だと思うものはできる限り全部持って避難しなさい」と教えているそうです。

プロジェクターを使い、津波の様子や除染作業の進捗を解説。

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7年ぶりの本校舎での卒業式、20人の卒業生に未来を託す

震災から8年経った今も、解決すべき課題はたくさんあります。度重なる転居、転校によるストレスなど、子ども達の中に「心の問題」は根深く残っています。双葉郡に5つあった高校が、現在では1校しかないという進路問題もクリアしなければなりません。

中でも「最も大きな問題は人材不足」と荒木さんは指摘します。夕方怪我をしても搬送する病院がなかなか見つからない、進学塾に通いたくても塾がない、避難指示が解除され、楢葉町に戻ってきた3,678人の内、48.4%が60歳以上の高齢者というのが現状です。若い世代が戻ってこないため、生徒数の減少はもちろん、教員の確保もままなりません。しかし、「ないものを嘆くのではなく、本校舎で学べる喜びと、感謝の気持ちを胸に前進し続けることが大切」と荒木さんはいいます。

「私たち教員は、生徒の心に寄り添い、全力で指導にあたることが復興への大きな力になると自負して教育に向き合ってきました。7年ぶりに楢葉町で行われた卒業式では、20人の卒業生の表情は晴れ晴れとしていました。子ども達が社会に出たとき、震災という厳しい現実を乗り越えた経験は、きっと力になってくれるはず。彼らが日本や福島県や楢葉町の未来を明るく照らしてくれることを願っています」

2019年3月末で教員生活を終えた荒木さんは、福島沿岸部の教育現場では、震災や原発事故をどのように乗り越えてきたかということを、自身の体験をもとにこれからも広く発信していきます。

2019年3月に楢葉中学校の校長を退職した荒木さん。最後の授業では、震災から8年間の歴史を1冊にまとめた本を使い、授業を行ったそうです。

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荒木幸子さん

荒木幸子さん

1982~2011年、福島県いわき市、相馬市、南相馬市の7校で教諭、教頭を務める。2011年3月以降、南相馬市立小高中学校、双葉町双葉中学校と楢葉町立楢葉中学校の再開に携わる。14年南相馬市立原町第三中学校校長、16年楢葉町立楢葉中学校校長。同校は、いわき市中央台仮設校舎から17年4月に楢葉町本校舎帰還。19年3月31日楢葉中学校退職予定。

URL:http://mainichimediacafe.jp/

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