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荒木幸子さん

「学校に“想定外”があってはいけない」小高中学校1年間の記録

荒木幸子さん

震災当時、福島県南相馬市にある小高中学校で教頭を務めていた荒木幸子さん。荒木さんは、地震発生直後から学校で起こったことをメモに残していました。あの日、学校はどんな状況だったのか。混乱の中、先生たちはどのような判断・対応を行ったのか。小高中学校の記録の一部をお伝えします。

後編はこちら  ※後日公開
▼3年間の臨時休業から開校へ 双葉中学校ゼロからの再建の道
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その日は卒業式だった

2011年3月11日。その日、小高中学校では卒業式が行われていました。いつもなら授業と部活動で夕方までいる生徒たちのほとんどはお昼過ぎには下校しており、午後の学校は静かです。

「通常通りの日だったら、誰一人、尊い命を失うことはなかったでしょう」と、荒木幸子さんは震災当日を振り返ります。

小高中学校は海からおよそ4km離れた高台にあります。万が一津波が発生しても、学校が流されることは考えにくい場所です。一方で、生徒の中には海沿いに自宅がある子どもたちもいます。地震が発生したのは午後2時46分。卒業式を終えた子どもたちは、すでに高台にある学校を離れていました。

「地震や火災を想定した避難訓練の経験、原発避難のマニュアルなどはありました。ただ、津波に対する安全指導はしていませんでした。『自宅にいるとき地震が起きたら、高台に逃げるように』となぜ指導しておかなかったのか。本当に後悔しています」

“未曾有の災害”と報道され続けた東日本大震災。その被害を事前に想定することは誰にもできなかったでしょう。それでも荒木さんは、「学校側に『想定外』という言葉はあってはならないのだ」と痛感したのでした。

震災前の小高中学校。部活動が盛んで、吹奏楽部は全国大会で上位入賞する名門でした。運動部活動でも、多くの部が東北大会や全国大会に出場していました。

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生徒の安否確認のために車を走らせ続けた先生

地震発生直後から、荒木さんをはじめ学校の教職員は自宅に帰らず生徒と住民の安全確保に奔走しました。先生たちがまっさきに取りかかったのは、生徒の安否確認です。

「生徒が避難してくる度に『誰に会った?』『どこで会った?』と聞いて回りました。その日に安否を確認できたのは100人ほど。全校生徒のおよそ3分の1しか把握できませんでした」

安否確認が難航した最大の要因は、個人情報保護の観点から、自宅の固定電話しか生徒名簿に載せていなかったことでした。唯一のつながりである固定電話はつながらない。しかも、小高中学校は学区が広く、子どもたちが避難しているエリアは散らばっています。そんな中、先生たちの個別の対応が安否確認の糸口になりました。

「偶然ある先生が、『今日で卒業だから、先生のメールアドレスを教えておくね』と黒板にアドレスを書いて伝えていました。おかげで携帯電話を使って多くの子どもたちと連絡を取ることができました。さらに、新任1年目の先生が機転をきかせて、早い段階で自分のハイブリットカーにガソリンを入れておいたことも幸いしましたね。彼は車を走らせ、県内のあちこちに避難している子どもたちの安否を直接確認してきてくれたのです。よく知っている先生が車を走らせて会いに来てくれる。それがどれだけ子どもたちを勇気づけたことか」

混乱の中、最も連絡がつきやすかったのはメールでした。とはいえ、生徒や先生を合わせると300人以上。一人ひとりにメールを送信するのは大変です。荒木さんは、学校側が一斉メールの仕組みを持っておく必要性を強く感じたそうです。

体育館の東壁は、震災の影響で崩落しました。

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避難所の運営は学校主導になる覚悟が必要

避難所生活をしながら、時間やお金、体力を、限界まで生徒のために費やしてきた先生たち。なぜそこまでできたのか。その問いに、「先生というのは、基本的に正義の味方なんですよ」と荒木さんは答えます。必要とされることを察知し、誰に指示されるでもなく自主的に行動に移すーーそんな小高中学校の先生たちの気構えは、避難所の運営にも現れていました。

災害時の避難所の運営は行政が行うことになっていますが、震災当日、まっさきに動き出したのは先生たちでした。というのも、市の職員が到着する前に、地域住民がどんどん避難してくるからです。

「住民は『学校に行けば何とかなる』と思います。ですから、初動の段階で学校側が避難所の開設・運営をすることになるのは仕方がないんです。例えば、地震があった時期はとても寒かったので暖房を設置したのですが、こうした設備や備蓄が『どこに』『どれだけ』あるのか把握しているのは学校側です。避難者名簿を作ったり、高齢の方や妊娠中の方のために柔道場から畳を移動させたり、どの教室にどの地区の人を案内するのか割り振ったりと、すべきことはたくさんあります。マンパワーで進めていくしかありません。先生方が率先して避難所運営に当たってくれたからこそ対応できたことです」

小高中学校で迅速な対応ができたのは、震災の前年に荒木さんが避難者名簿やマニュアルを作成していたことも影響しています。2010年に発生したチリ地震を受け、災害時の対応をまとめていたのです。「全国の先生方は、災害時に避難所を運営するのは自分たちだと覚悟をしておいた方がいいと思います」と荒木さん。特に校長をはじめとする管理職の危機意識レベルが非常に重要だといいます。「私も自分が体験するまではここまでの危機意識はありませんでした。だからこそ、全国の先生方に重要性を伝えたい」と強調しました。

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どんな状況でも「通常の学校生活」を目指す

荒木さんたちが重視したのは、できるだけ子どもたちに「通常の学校生活」を送ってもらうことでした。震災直後、小高中学校は福島第一原発から20km圏内の「警戒区域」に該当していたため、本校舎を使うことができません。このため、避難区域に指定されなかった南相馬市の鹿島中学校で授業が再開されることになりました。しかし、鹿島中学校の生徒に加えて、避難区域・屋外退避区域に該当する、合わせて4校が同校を間借りしたことで、一気に生徒数が増え、教室が足りない状況に。環境や校風の異なる5校が同じ敷地に集まったことで、生徒たちが受けるストレスはさらに増大します。仮設住宅や避難所生活に加え12〜15歳という多感な時期に、知らない他校の子どもたちと密集して過ごす−−。抱えきれなくなった不安や悲しみが噴き出し、自分をうまくコントロールできずに苦しむ子どもたちと、先生たちは向き合い続けました。

「不便な生活、突然の友人との別れ、ぎゅうぎゅう詰めの借用校舎……。生活や学校の環境が目まぐるしく変わり、子どもたちは大変なストレスを受け、傷ついていました。だからこそ、通常通りの授業を行い、子どもたちが希望している文化祭と修学旅行も実施することにしたのです。文化祭には遠方に避難していた生徒たちも来てくれて、久しぶりの再会を果たすことができました」

鹿島小学校校庭に建てられた小高中学校の仮設校舎。2011年11月から2016年まで生徒たちが利用しました。

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子どもたちが歌声を取り戻したオリジナルソング

次々と授業が再開されていきましたが、どうしてもうまくいかない時間がありました。それは、音楽の授業です。先生がピアノを弾き、前奏が終わっても、生徒たちから歌声が発せられることはありませんでした。子どもたちは教科書に載っているような希望に満ちた曲を、どうしても歌う気持ちになれなかったのです。そこで音楽の先生は、子どもたちの今の気持ちに寄り添ったオリジナルの曲を作ることにします。授業で出た言葉や、日記や作文に書かれた言葉を拾い上げ、歌詞にまとめ上げました。

こうして生まれたのが、合唱曲「群青」です。群青とは小高の海の色であり、学校の行事や地元のスポーツクラブの名称に使われるなど、小高を象徴する言葉でもあります。「また会おう 群青の街で」。そう結ばれるこの曲を、生徒たちは泣きながら歌いました。「『群青』を聴くと、震災前の小高の風景をありありと思い出すことができます。ですから、学生の合唱曲という枠を越えて、小高に住んでいた人たちはみんな涙が溢れてくるんですよ」と荒木さん。「群青」は高校の教科書にも掲載され、今では小高中学校だけでなく、全国の学校で歌われています。

翌年、荒木さんは福島第一原発から3km圏内の双葉中学校の校長に就任します。そこでは生徒も、先生も、校舎もない、ゼロからの再建が待っていました。

(YouTubeリンク)https://www.youtube.com/watch?v=hwWIBwaXkUs
小高の子どもたちの心の声を紡いだ「群青」。復興支援コンサート「Harmony for Japan 2013」の様子です。
(後編に続く)

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楢葉町中学校時の話

▼震災から8年 福島沿岸部の教師と子どもはどう過ごしてきたか
http://rainbow.nttdocomo.co.jp/enterprise/detail/254/

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荒木幸子さん

荒木幸子さん

1982~2011年、福島県いわき市、相馬市、南相馬市の7校で教諭、教頭を務める。2011年3月以降、南相馬市立小高中学校、双葉町双葉中学校と楢葉町立楢葉中学校の再開に携わる。14年南相馬市立原町第三中学校校長、16年楢葉町立楢葉中学校校長。同校は、いわき市中央台仮設校舎から17年4月に楢葉町本校舎帰還。19年3月31日楢葉中学校退職。

URL:https://www.youtube.com/watch?v=hwWIBwaXkUs
URL:http://futabajh.blog.fc2.com/

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