住民の帰還が続く富岡町の今
2018.04.12
福島県の海側にある富岡町。2017年4月に町の9割が避難指示区域が解除され、住民が少しずつ戻ってきています。住民の帰還が始まってもうすぐ1年となる現在、町はどんな様子なのでしょうか。今の姿をレポートします。
※写真は、「夜ノ森の桜並木」のライトアップ時の写真です。(2018年4月6日撮影)
★VR動画の閲覧方法ご紹介★
富岡町の今を2018年2月に訪問させて頂いた際の動画です。現地の状況、お話をお伺いしておりますので、ぜひご覧ください。
※360°動画です。スマホの方はスマホを上下左右にぐるぐる動かしながら、PCの方は画面をドラッグしながら、お楽しみ下さい。
※動画は、360°動画です。スマホの方はYoutubeアプリでご覧ください。
新設されたピカピカの富岡駅
福島県の海側にある富岡町は、二機の原子力発電所からほど近くにあります。原子力発電所の事故に伴って、居住制限区域が設けられました。2017年4月1日、ようやく帰還困難区域を除いた避難指示が解除され、住民の帰還が始まっています。再び歩み始めた富岡町をあちこち旅してきました。
町の中心だった富岡駅は、津波で駅舎が流失。2017年11月にようやく駅舎が新設され、6年7カ月ぶりで町に電車が通った時には、町民から歓声が上がったそうです。
富岡駅
福島県双葉郡富岡町大字仏浜字釜田
津波の被害を考え、元の場所から100メートルほど移した場所に再建されました。
駅の隣の「さくらステーションKINONE」は、コンビニエンスストアと食堂が入った店舗です。
駅前にできたばかりの「富岡ホテル」は、町民が立ち上げたビジネスホテルです。
住民の代わって、残された田んぼも管理するメガソーラー
富岡町を車で走っていると、ソーラーパネルがずらりと並んだ場所を通りかかりました。「富岡復興メガソーラー・SAKURA」が有する土地はおよそ40ヘクタール。よく見ると、パネルが設置されている地面に、水路の跡や段差があることに気が付きます。実はこの土地は、もともと田んぼだったそうです。
富岡町は米作りが盛んでしたが、持ち主が避難のために町を離れると、残された田んぼは荒れ放題になってしまいます。住民が戻ってきても、荒れた土地を一から手入れするのは大変な労力です。そこで、メガソーラーは町民から土地を借り、太陽光発電事業を行いながら、町民が帰ってきた時のために田んぼの管理も行っています。
いずれは田んぼとして住民へ返すことを前提にしているので、水路などはすべてそのままになっています。
富岡復興メガソーラー・SAKURA
福島県双葉郡富岡町大字上手岡字大石原、下千里地内
「富岡復興メガソーラー・SAKURA」は2017年11月に運転を開始しました。
毎年春が待ち遠しい桜の名所
夜(よ)ノ森地区には、有名な桜の名所があります。桜並木が2キロ以上続き、桜のトンネルとして知られる「夜ノ森の桜並木」です。2017年より、立ち入りが可能な300メートルの桜並木のライトアップが再開されました。
2018年の夜ノ森の桜並木のライトアップには、投光器の購入費用をドコモグループ「2017年度 東北応援社員募金」にて寄贈させて頂きました。
「東北応援社員募金」(2017年度)の詳細はこちら↓
https://www.nttdocomo.co.jp/tohoku/tohokusupport/2017/tab_3_2017.html
夜ノ森の桜並木
福島県双葉郡富岡町字夜の森北2丁目
夜ノ森のライトアップ(2018年4月6日撮影)
夜ノ森の桜並木のライトアップの投光器の購入費用を「2017年度 東北応援社員募金」にて寄贈させて頂きました。
温かなカフェで一休み
まだまだ飲食店が少ない富岡町で、2017年7月にオープンしたのが「CAFÉ y(カフェ ワイ)」です。「ゆっくり過ごせる場所がほしい」「女子会がしたい」などという声を受け、店内はとにかくくつろいで過ごせるようにと気配りされています。
昼間は定食、夜はお酒とおつまみと、ニーズに合わせたメニューを提供しています。カラオケやダーツもあり、ついつい長居してしまう温かな雰囲気です。
お店がY字路にあることから、店名は「y」。いろいろな人たちがこのお店で交わるように、という想いも込められています。
CAFÉ y(カフェ ワイ)
福島県双葉郡富岡町大字本岡字王塚645
Facebok:富岡町の癒しランチ&BAR「カフェy」
店主の渡辺愛子さん。もともと飲食業に就いていましたが、「地域の役に立ちたい」という想いでお店を開業しました。
あの日のことを忘れない
最後に訪れたのは、双葉警察署の隣にある公園に置かれている「津波被災パトロールカー」です。震災当時、このパトカーには2人の警察官が乗車していました。住民に避難を呼びかけ続けた2人は津波に流され、1人は亡くなり、1人はいまだ行方不明です。使命感を持って任務にあたった2人の姿と、町を襲った大きな災害を忘れないために、パトカーは誰もが見ることのできる場所に置かれています。
震災から丸7年となる今、富岡町は少しずつにぎわいを取り戻していました。ただ、震災のことを忘れることはありません。町に暮らす人たちも、外から訪れる私たちも、ずっと語り継いでいかなければならないことだと改めて感じます。
岡内東児童公園
福島県双葉郡富岡町中央2丁目
2人の警察官を想って、お供え物を持って訪れる人が後を絶ちません。
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