息子との約束から生まれたバッティングセンター
2016.11.08
株式会社気仙沼フェニックス
牛乳販売店「千葉一商事」の千葉清英さんが、バッティングセンター設立のために立ち上げた会社。東北初となる全打席両打。23球200円、球は軟式。野球経験のある大人たちや、女子高校生も訪れる。バッティングセンターの営業時間は11時から19時まで。
牛乳販売店からバッティングセンターが誕生
「人生、何があるかわからない」
よく耳にする言葉ですが、確かにこれまでの人生を振り返ってみると、予想していなかった出来事の方が多いくらいではないでしょうか。
気仙沼で牛乳販売店を営む千葉清英さんも、「まったく予想していなかった」人生を歩んでいるといいます。なにしろ千葉さんは、何気ない日常会話をきっかけに、2年の歳月をかけて気仙沼にバッティングセンターをオープンさせてしまったのです。
株式会社気仙沼フェニックス 代表取締役 千葉清英さん
こだわりいろいろ。東北初の全打席両打ち!
千葉さんが経営する気仙沼フェニックスバッティングセンターへは、気仙沼駅から車で15分ほど。7打席すべてが両打ちに対応しており、これは東北初なのだとか。料金は23球200円です。「来た人に1球でも多く打ってほしい」という千葉さんの計らいで、とても安価に設定されています。
「23球なのはこだわりがあって、本業の牛乳屋にとっての生命線である『乳酸菌』にかけているんです」
「乳酸(にゅうさん)」だから「23(にじゅうさん)」球。理由を知ると、ちょっぴり楽しくなりますね。
この場所がオープンしたのは2014年の3月末。ちょうど消費税が5%から8%に上がる時でした。バッティングセンターの料金は、基本的に内税。キリの良い金額にするため、普通は値上げではなく球数を減らすことで調整するといいます。でも、千葉さんには23球であることに特別なこだわりがあるので、「絶対に球数を減らさない」と決めているそうです。
ところで、本業の牛乳販売店とバッティングセンターは、一体どんな関わりがあるのでしょう?
オープン前に訪れた気仙沼フェニックスバッティングセンター。打席によって投球のスピードが異なる。すべて両打ち。
ホームランを出すと1打席の無料券がもらえ、落ちているボールをネット上の的に当てると「うまい棒」がもらえる。「たかが『うまい棒』でも、もらえると嬉しいんですよね」と千葉さん。
震災で失ったもの......「泣いている余裕はなかった」
東京都出身の千葉さんが気仙沼にやってきたのは、30代前半のころ。奥様の実家である牛乳販売店を継ぐためでした。それまでは、東京で10年以上にわたって酒類の営業をしていたそうです。仕事をしながら社会人の野球チームに所属していて、多いときはチームを5つ、6つと掛け持ちしていたのだとか。
牛乳販売店を継いでからは、とにかくがむしゃらに働いたといいます。営業マンの経験はあるものの、扱う商品が違うのでゼロからのスタートです。三人の子どもたちのためにも、一緒に働く社員のためにも、仕事に没頭していきました。そうして積み上げたものが、震災ですべてなくなってしまいました。
千葉さんは、妻と二人の娘、義理の両親ら7人を先に逃がしたあと、津波にのまれました。自身もあばらを骨折するなど大怪我をしましたが、橋の欄干につかまって何とか助かったのでした。
震災の3日後、小学校にいて助かった長男の瑛太君と再会。ですが、避難所に送り届けたはずの家族が見つかりません。3週間後、警察から連絡を受けたときには、覚悟は決まっていたといいます。
「体育館に7人とも並んでいました。思わず腰から砕け落ちましたね。家族で間違いないか確認して、手続きをして、荷物をまとめて。泣いている余裕はありませんでした」
「気仙沼にあったらいいな」長男の一言をきっかけに
千葉さんは会社の再建に奔走しました。新規事業のために盛岡に出張したときのこと。帰り道に、一軒のバッティングセンターを見つけました。
「そのときは私がやりたくて、息子を連れて立ち寄ったんです。息子に打たせたときの顔がね、何ともいえないもので。何もかも忘れて、汗だくになっている息子を見たときに『これだー!』と。気仙沼から車で1時間半かかる場所でしたが、何とか定期的に連れてきてやりたくて、月に1度通い始めました」
会社を立て直すために奔走している最中に立ち寄ったバッティングセンターが新たな道へとつながりました
ガソリンもなく、ライフラインも整っていないころ。月に1度とはいえ、片道1時間半かけて出かけるのは容易ではなかったはずです。それでも、このバッティングセンター通いは千葉さんにとってかけがえのない時間になりました。
そんなある日、瑛太君がぽつりと言ったそうです。 「パパ、遠いね。気仙沼にあったらいいな」
息子ひとりが打てるくらいの規模でいい。空き地にネットを張ればいつでもつくれる―--。千葉さんはそんな風に考え、二つ返事で「よし、やろう」と答えました。
息子の夢をのせた新商品『希望の飲むヨーグルト』が誕生
簡易なバッティングセンターならいつでもつくれる。そう思った千葉さんは、また仕事に没頭していきました。それから数カ月経ったある日、瑛太君から「いつできるの?」と聞かれてはっとしたそうです。
「こいつは本気なんだ」
千葉さんは本格的にバッティングセンターの建設に乗り出しました。資金も場所もあてはありませんでした。ただ、直感的に「この約束を破ったら、自分は一生後悔する」と思ったそうです。そこで、場所探しと並行して、かねてからやりたいと考えていたオリジナル商品を企画し、その売り上げを建設費用にあてることにしたのです。
会社の立て直しと、息子との約束。二つの願いが込められたオリジナル商品『希望ののむヨーグルト』が誕生しました。この商品は共感を呼び、たくさんの方から応援の声が届いたそうです。
オリジナル商品『希望ののむヨーグルト』。印象的な星空のラベル(右)。震災の翌日、ものすごくきれいな星空だったんです。この真っ暗な気仙沼に希望を持たせようという想いが込められている。
その一方で、「こんなときにバッティングセンターだなんて、何を考えているのか」「できないならやめた方がいい」など、心無い言葉も耳に入りました。
「みんな大変なストレスを抱えていましたからね。でも、私には瓦礫のなかで『カキーン』とボールを打つ音が聞こえてしまったんですよ。そしたらもう、周りに何を言われようが、止まらなくなってしまいました」
あの決意からおよそ2年。気仙沼フェニックスバッティングセンターがついに完成したのでした。
気仙沼フェニックスバッティングセンター。「フェニックス」は、千葉さんが所属していた社会人野球チームに由来
バッティングセンターのネットは、不要になったゴルフ場のネットを切って再利用したもの。
この場所は「これからがんばって生きていこう」というメッセージ
「すべては息子の一言から始まりました。この一言が、生きる糧になった。今だから言えることですが、『パパ、気仙沼につくってよ』という言葉は『これからがんばって生きていこうよ』という息子からのメッセージだったんです」
バッティングセンターに響く「カキーン」という音は、前を向いて生きて行く人々の"希望の音"なのでした。
このバッティングセンターから「希望の音」を気仙沼に響かせていきます。
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