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双葉町での店舗再開を夢に――2代目オーナーパティシエのふるさとへの想い

2019.08.23

まがら洋菓子研究所有限会社

福島県いわき市の住宅街に、フランスの片田舎を思わせる小さな洋菓子店があります。扉の向こうには、温かみのある表情のケーキや焼き菓子、パンなどがショーケースいっぱいに並びます。このお店のオーナーパティシエを務めるのが、まがら洋菓子研究所有限会社 代表の眞柄正洋さんです。

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両親が始めた双葉町唯一の洋菓子店がルーツ

眞柄さんは福島県出身。運営する2つの店舗はいわきの海をイメージし、「パティスリー グランブルー」「ラトリエ グランブルー」と名づけました。そして実店舗と並んで運営するECサイトの名前は「欧風創作菓子 ふたば茶亭」。眞柄さんが小学生のころ、ご両親が双葉町で始めた洋菓子店の屋号です。

「もともと町内のよろず屋に、お菓子を卸していたんです。バタークリームたっぷりのデコレーションケーキとか。家はいつも甘い匂いに包まれていて、よく手伝いしながらつまみ食いしていましたね(笑)」

当時は甲子園をめざし野球に明け暮れる日々。だから、進路を考えたときも、オフィスワークをこなす自分は想像できなかったという眞柄さん、菓子職人になるのも自然な流れでした。高校卒業後、神奈川や東京の洋菓子店で修業を重ね、本場ドイツの製菓学校にも足を運びました。洋菓子の技術をひと通り習得し、双葉町に戻ってご両親の店を継いだそうです。

「ふたば茶亭は町で唯一の洋菓子店でした。人口7000人程度の小さな町ですから、ご近所同士のつながりが非常に濃くて。地域のみなさんも、お持たせや年始のあいさつ、法事やちょっとしたお礼にと、何かあればうちの洋菓子を使ってくれていました。お店ではコーヒーやお茶も出していたので、町のサロン的な役割もありましたね」

眞柄さんが継いでからも店は順調に成長。5年後には法人化、その2年後にはいわきの内郷に進出。小名浜にも工場兼店舗を構え、いわきと双葉町を行き来する生活が始まりました。

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いわき進出1号店の「パティスリー グランブルー」

何としても"ふたば茶亭"の存続を 仮店舗運営のほろ苦い経験

しかし東日本大震災を境に状況は一変します。地震や津波に加え、原発事故の影響から、福島に住む多くの人の日常が奪われたのです。それでもいわきの2店舗は、地震から数週間後にはお店を再開することができました。しかし震災を理由に辞めざるをえないスタッフが、何人も出てきてしまったといいます。

さらに深刻なのが、ふたば茶亭でした。双葉町の全町民が避難の対象に。役場機能も一時的にさいたま市に移すなど、町そのものが立ち行かない状態に。運営する3つの店舗の中で、最も大きな売り上げを占めていただけに、大きな打撃でした。

「双葉の店は多少片づけましたが、いまだに地震当時のままです。スタッフも県外に避難するなど、集まること自体が難しくなってしまいましたね」

しかし、眞柄さんはあきらめませんでした。「"ふたば茶亭"の名がこの世から消えてしまうことなど考えられない」と、震災から半年後、いわき市内に仮店舗の形で店を復活させます。付近はアパートが多く、双葉町や大熊町など双葉郡からいわきに避難した人たちが住んでいたこともあり、ふるさとの味を懐かしんで買いに来るお客さんも多かったといいます。

「中には県外に避難した人が、一時帰宅で双葉を訪れた際に立ち寄ってくれることもありました。うれしかったですね」

けれども双葉で営んでいた時とは状況が違い過ぎました。結局ふたば茶亭の仮店舗は、5年9カ月で閉めることになります。

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オーダーが入り、鮮やかな手つきで仕上げ作業をする眞柄さん

震災を経たからこそ見つけた、生産者や地域店と協業する意味

現在も営業を続ける「グランブルー」2店も、震災前の水準まで回復したとはいえません。一番の課題はスタッフの数が不足していることです。扱う商品の数を全盛時の8割程度に抑え、スタッフも製造と販売を兼務しながら運営しています。

「とはいえ50種類以上の商品を扱いますし、製造技術の習得は時間を要します。求人も以前はすぐに応募があったけれども、今はなかなか採用に至りません。大変な状態ですが、今いるメンバーが本当に頑張ってくれています」

眞柄さんは現状を憂うだけでは終わりません。特に震災以降、商品開発では今まで以上に地域に寄り添うようになりました。

2014年より始めたジェラートはそのひとつ。日本有数の果物大国として知られる福島県の素材をたっぷり使ってつくられています。眞柄さんは素材探しのために生産者の元を訪れたとき、風評被害を乗り越えて真摯に果樹づくりと向き合う彼らの姿勢に心を打たれたそうです。

「丹精込めてつくられた素材を生かし、加工や流通の部分でお役に立てればと思いました。特に弊社の場合はネットにも販路があるので、全国に届けることができます」

近年のヒット作であるどら焼きは、味の要となる粒あんを自社で製造。高齢化が進む町のニーズに応えて生まれた商品です。

また、小名浜にある海鮮レストランとの協業も始めました。そのレストランは震災の際に津波で店が流され、営業再開までに3年かかったそうです。眞柄さんはデザートを提供し、干物とセットにしたギフトセットも開発。「震災前には考えも及ばなかった」という眞柄さん、コラボレーションが地域の力になると実感しているところです。

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「パティスリー グランブルー」の店内。ところ狭しとお菓子が並びます

先代のポリシーを受け継ぎふたたび故郷を笑顔でいっぱいに

震災からの8年間は、眞柄さんにとって迷いながらも前に進み続ける毎日でした。そうした中、眞柄さんが心に決めていることがあります。それは、店を休まないことです。

「基本的に元日以外は店を開けていたい。これは双葉町で両親が店を営んでいたころからのルールです。仮店舗の時はスタッフ不足で叶わなかったけれども、グランブルーでは双葉時代からの流れを受け継いでいます」

毎日決まった時間に営業するのは、「おいしいお菓子を食べたい」というその瞬間の思いに応えたいからだそうです。

「例えば今日は家族の誕生日だったと、夕方にデコレーションケーキをお求めになるお客様もいらっしゃいます。本当は予約してもらえたらベストだけれども、少しでもお祝いしたい気持ちを応援できればと思ってやっています。小さなお子さんがおこづかいを握りしめて、マカロン1つを買いに来ることもあります。駄菓子屋さんではないですけれど、"行けば開いている"町のお菓子屋さんでありたいと思っています」

そして"ふたば茶亭復活"は、いつか必ず叶えたい眞柄さんの夢です。

「双葉町はいま、避難指示解除に向けて準備が進められています。けれども市民の生活が整うには、まだまだ遠い道のりです。ふたば茶亭もそう簡単には再開できないと思います。今できることを着実にやっていくことで、いつか双葉の地でみんなを笑顔にするお菓子をつくれる日が来ることを信じています」

眞柄さんの願いが叶うそのときが、本当の意味での復興の始まりなのかもしれません。

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店内には双葉町の店の写真が飾ってあります。

まがら洋菓子研究所有限会社

福島県いわき市小名浜君ケ塚9-6

「パティスリー グランブルー」
福島県いわき市内郷御厩町1-199

「ラトリエ グランブルー」
福島県いわき市小名浜君ケ塚9-6

HP
https://www.rakuten.co.jp/futaba-chatei/
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