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ユニバーサルデザインをめざして

2015.02.12

バンザイファクトリー
岩手県陸前高田市米崎町に工房を構える株式会社バンザイファクトリー。木工品製造と麺づくりという一見結びつかない事業展開の秘密は、豊かな発想やひらめきと共に確かなIT知識と技術を持つ代表の高橋和良さんにありました。

IT業務のスペシャリスト

株式会社バンザイファクトリーの高橋和良社長は、幼い頃、漆職人の叔父を見ていて、木を使った造形を仕事にしたいと夢見ていました。
しかし、家庭の事情で自活する必要に迫られた高橋さんは、コンピュータと出会ったこともあり、生計がたてやすいだろうと工学の道へと進みました。海外の大学でも学び、その後勤務した会社ではコンピュータを自由に研究することができたとか。汎用コンピュータ修理部門、オフコン・パソコンOA機器営業部門、ソフトウエアの開発の経験を積み重ねたのち、その知識・技術・発想を生かして、画像処理・医療ITシステム開発会社を6畳間で創業します。
しかし、数年後、そこで開発した医療画像システムを大手企業に権利譲渡し、40代で企業家を引退してしまいました。引退後は、岩手県盛岡市に、幼い頃に夢見た趣味的なIT木工の会社を設立しました。

株式会社バンザイ・ファクトリー代表取締役の高橋和良さん

オーダーメイドがもたらす効力

そんな企業家引退前の出来事。医療画像システムを開発するにあたり、医師と話していた時、高橋さんは興味深い話を聞きます。
「重篤な状態の患者に麻酔をかける際、手を握り、声をかけながら行った患者さんの方が大きなトラブルが起きにくい」というデータがあるということ。
話を聞かせてくれたその医師は、「科学的ではないかもしれないが」とは、いっていたそうですが、そのデータ検証は高橋さんの心に強烈な印象として残りました。
それからというもの、同じような事例を探していた高橋さんは、アメリカの人間工学の学会発表を見つけます。
それは、「自分の手にぴったりとあうもの、手の形にあったものを握り続けると認知症が緩和される」というものや、
「自分の手でしっかりとつかめるものがあると、人は起き上がろうとし、その時には人間の脳に前向きな感情の波形が出る」というもの。
実際に介護施設に勤める友人に確認したところ、「入所者さんが握るものは包帯とかまいて波打たせたりして、握りやすくしたり落としにくくしたりするんだよ。またそうすると気持ち良さそうな顔するんだよね」という答えが返ってきたといいます。
高橋さんは思いました。
「スーツもオーダーメイドで作ると快適だ、靴だって同じだ・・自分にぴったりするってことは快適なのだ」
折しもIT木工会社を設立するところだった高橋さん。
伝統工芸師でもなんでもない自分は、手の握り(型)を木に彫る技術を、ITを駆使してできないだろうかと考えるようになります。

ITを駆使して手の握りを木にかたどった「我杯

「我杯」誕生

単純な発想ではあるものの、自分にぴったりとしたものを握る時とはどんな時で、どんなものなのか?
ドアノブ、ペン、マウス・・など色々考えたそうですが、最終的にカップにしようと決定します。
IT木工製品「我杯」の構想がスタートしたのです。
ところがここからが大変でした。
手は第二の脳ともいわれる細やかな感覚をつかみ取る場所。1ミリの差でも自分にぴったりしないと感じる場所なためその造形には細心の注意が必要でした。型をとりそれを転写する難しさ、木という材質上、時間がたてば縮小や膨張もする性質。さまざまな困難が待ち受けていました。
しかしそこは逆境に強く、裏打ちされた確実な知識や技術を持つ高橋さん。反対に問題を解決してやろうという気持ちが強くわいてきたといいます。
自然の木を相手にするため、「それぞれ違う木目をどうやって削っていくか」、「塗装皮膜で厚みがでる分をどうやって計算して削るのか」、「型をとるために握った粘土は乾燥して何%縮小するのか」など5年近くの時間をかけ、象り(かたどり)方法、機械、三次元ソフトウェア、マテリアル、全てを開発し、「我杯」が誕生することになります。

「我杯」は3Dスキャナで読み取ったデータを3Dソフトウェアで調整し切削される

「我杯」ってどんなもの?

「我杯」は、一人一人の「握りをかたどり」、彫り上げた、世界にひとつだけの、自分の手にぴったりとくる完全オーダーメイドのカップです。杯の材質は樹齢80年前後の北限山桜、樹齢200年前後の楓、樹齢60年前後の栗から選択でき、内側の仕上げは漆を使った伝統塗装です。
オプションで、底面に文字をいれたり、表面を岩手産漆塗り仕上げにしたり、底部分に南部鉄器の馬蹄鉄をつけることも可能です。
手型を取るための「かたどりキット」は、革製カバンにおさめられて送られてきます。還暦や喜寿のお祝い、定年退職のお祝い、お誕生日でのお祝いなどの場で、象り(かたどり)そのものをイベントやセレモニーとしてみんなの前で行うお客さまも多いとか。お孫さんと一緒に二つの握り型で作ることもできます。それもこれも完全オーダーメイドだからこそ。
時にはうれしいメッセージも届きます。
たとえば、体が不自由なために陶器やガラスではうまく持てずに壊してしまうこともあったため、プラスチックのコップを使っていたお父様が、高級感もあるうえに手にぴったりで落としにくいこの「我杯」を気に入って使うようになり、自分から色々なものを飲むようになったという感謝のお手紙など。
まさに、高橋さんの目指していたオーダーメイドの効力が発揮された出来事といえるでしょう。

ユニバーサルデザインへの目覚め

高橋さんは、この「我杯」をきっかけにユニバーサルデザインの研究をはじめます。前述の「体の不自由なお父様が自ら我杯を手にとった」というお便りの中に、「これは究極のユニバーサルデザインじゃないでしょうか」という一文があったのです。
聞いた事はあったが、高橋さんの中に、漠然としたイメージしかなかった「ユニバーサルデザイン」。
情報を集めだした高橋さんは、ユニバーサルデザインの基準はあるものの、どれも数値化されていないことに疑問を感じ、一定のデータを研究して数式化し、法則を導きだした製品作りをしてみようという考えに行き着きます。
そして、通信教育で大学での勉強もはじめました。
しかし、ユニバーサルデザインの数値化をはじめた翌年、東日本大震災が起きます。

工房と自宅、陸前高田市へ

幼少期を過ごした陸前高田市は震災によって大きな被害を受けました。高橋さんの恩人も被災。黙って見ている事ができなかった高橋さんは、失われてしまった雇用を陸前高田に生み出したいとの思いから、盛岡市の工房と自宅の移転を決意。
「私一人で何千人何万人救えるわけじゃないので、そんな復興支援はできません。だから私は会社を作って自分の会社で働いてもらい、それで幸せって思える人ができたらそれで幸せなんです。」と高橋さんは言います。
もともと盛岡の工房で地元の食品名物を作ろうと麺作りも研究していた高橋さんは、陸前高田に移した工房に製麺所をつくり、被災した方々を中心に雇用し、製麺工場の操業を開始しました。
食品と木工、一見まったくの別物のように見えますが、高橋さんからは納得の答えが返ってきました。
「工学の解釈の仕方だと、生地を練るなら小麦は何グラムあたり何パーセントとか、圧力はどれくらいとか全部計算じゃないですか。練り上げるのも小麦の分子粒子の隙間をどう埋めるか、科学で追求する。出てくるものが木か麺か(の違い)です。」

高橋さんの工場でつくられた製麺を用いたパスタ

地域に貢献できる研究開発

陸前高田に拠点を移し、木工工房や製麺所も立ち上げた高橋さん。今後の陸前高田市を考えながら、さまざまな研究開発も進めています。先のユニバーサルデザインの研究開発や風力発電の研究など、ITで培った知識と技術とひらめきを生かして、地域に貢献できる研究開発を続けて、高橋さんは未来へと進んでいます。

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