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地域に寄り添い、ともに一歩ずつ

2015.04.13

こころスマイルプロジェクト
「こころスマイルプロジェクト」は、石巻市を中心に、不登校の子供たちの支援活動や震災により子供を亡くした母親や家族を亡くした子どもたち、PTSD児童の心のケア、女性の就労支援などの活動をおこなっています。 2015年には、不登校やPTSDに苦しむ子供達のためのスペース「こころスマイルハウス」をスタートさせました。

「大人は我慢できる、まずは子供のことだけを頼みたい。」

こころスマイルプロジェクト代表理事の志村知穂さんは、震災当時、神奈川県でプランニング会社、宮城県の仙台では家具などを扱うお店の経営をしていました。
志村さんの祖母は石巻市、祖父は登米市の出身で、石巻には親戚が多かったといいます。
「まずは震災直後の安否確認からスタートしたんです。」と、志村さん。
しかし安否確認はなかなかとれません。その間も、自分の会社から避難所に物資を送ったり、さまざまな企業と連携を取り支援をおこなったりしていました。ようやく親戚と直接連絡が取れたのは、震災から約3週間がたった、3月下旬だったのです。
志村さんの親戚には教育関係の職についている人が多く、その中で小学校教師をしている親戚に何か困ったことはないか、必要なものはないかを尋ねた時に、「大人は我慢できる、まずは子供のことを頼みたい。」と言われたのです。
ここから、志村さんの全力支援が始まりました。

こころスマイルプロジェクト代表理事の志村知穂さん

給食の復活のための支援

学校が再開した時に子供たちに必要なものは個人準備となってしまうため、さまざまな物資を支援することとなるのですが、もちろん当時は他の団体などでも準備をして送ってくれていたところなどもありました。
しかし、その物資は、連絡が取れる学校にしか届けられていないのが実情でした。あまり大きな被害のない学校は比較的連絡がとりやすかったため、そちらにばかり物資が行ってしまい、大きな被害を受けた学校には物資が行き渡らないということが起きていたのです。そこで、志村さんは、甚大な津波被害を受け、本当に物資を必要としている学校へ届けるという支援をはじめました。
そんななか、志村さんは、震災後、野菜や、温かいものを一度も食べていないという子供たちがたくさんいることを知ります。学校も被災し、給食センターも被災をしたところがほとんどで、2011年の4、5月の学校給食は、ずっとパンとパック牛乳のみ。「これでは子供たちの成長が心配だ」と先生方も涙ながらに訴えていたそうです。
そこで、学校給食を何とかしたいという思いから、志村さんは動き出します。学校給食法という壁もあり、すんなりとは行きませんでしたが、他の団体や多くののボランティアと連携し、2011年5月から9月までの間、石巻の沿岸部の学校に、毎日3,000食の給食を届けるという支援を行いました。

さまざまな活動のことを話す志村さん

「選ぶ」喜びをとりもどした「駄菓子屋ワゴン」

ある日、この給食支援が縁で、学校の遠足のお弁当支援の要請を受けます。そして同時に、ワゴン車にお菓子をいっぱい積んだ「駄菓子屋ワゴン」という取り組みもはじめました。
「自分たちが子供のころは、遠足の時にお小遣いをもらって、持っていくお菓子を自分で選ぶという楽しみがありましたよね。」
「当時の子供たちは、避難所で全国から支援していただいたものをいただく、という受動的な立場だったので、なんとか子供たちに、自分の好きなものを『選ぶ』という楽しみを思いださせてあげたかった。」
「駄菓子屋ワゴン」は、そんな思いから生まれたのです。
この取り組みが認められ、学校の先生方から、「ぜひ生活科単元の授業に取り入れたい」ということで、「お買いもの教室」という内容に形を変え、学校を通じた子供達への支援として引き継がれています。

駄菓子屋ワゴン(お買いもの教室)の様子①

駄菓子屋ワゴン(お買いもの教室)の様子②

子供たちの居場所をつくりたい

つぎに、志村さんが手がけたのは、放課後の子供たちの居場所作り。
震災直後から、子供が自由に遊べない、居場所がないなどの声を聞いた志村さんは、放課後児童クラブを開設することに。そして、この活動の中で不登校児童とも関わるようになり、津波で親を亡くしたことによるPTSDや、様々な理由で不登校となり、他の子供たちと交流を持つことが難しい子供たちのサポートの重要性を改めて感じていたのです。
志村さんは細かなサポートが必要な「放課後児童クラブなどにも参加することが出来ない子供たち」の支援をはじめます。
「多くの子供たちを支援することも必要だけど、ボランティアが来ている場所にも行けない子供たちは結局支援を受けることが出来ず、どんどん置き去りになってしまうんです。」
「支援をする子供たちの人数は少なくても、将来的に引きこもりなどにならないように、一人でも二人でも学校へ戻すことが出来たらと思っています。」と、志村さんは話してくれました。

他の子供たちと交流を持つことが難しい子供達の居場所となる「こころスマイルハウス」

こころスマイルハウス

活動を通して、子供や保護者の心のケアの重要性、またそれが長期化するであろうということを感じていた志村さんは、「継続して支援が出来る場所」が必要と考え、その居場所づくりをはじめました。
それが、「こころスマイルハウス」です。
現在、こころスマイルハウスのある場所は、海からは遠い高台の住宅地の一角に位置しています。
「みんなが安心できる場所としては"高台であること"が、必須条件でしたので、この場所しかなかったんです。」

高台につくられた「こころスマイルハウス」

保護者への支援

支援は、決して子供だけすればよいというものではありません。家に帰って親が悲観的な状況が続いていたり、ストレスが溜まっていたり、子供の方を向いていないというようなことがあると、親は子供にやさしくできなかったり、子供は愛情不足になってしまったりということがあります。
「そんな時に、ちょっとした悩みや相談を話してもらえるような存在でありたい。」
そう考えた志村さんは、カウンセラーの資格を取得。保護者からの電話相談も受け付けています。
また、カウンセラーの資格のみならず、心のケアのひとつとして取り入れているアートセラピーを学び、さまざまな角度で、心の支援へとつなげています。

アートセラピーによる作品

もうひとつの居場所

「こころスマイルハウス」を利用している子供たちのほとんどが、震災で家や家族を亡くした子供ばかり。
震災時に幼かった子供たちは、家族が亡くなったということを理解しているけれども、まだ客観的にとらえられていないところがあり、これから思春期を迎える時に、きっと震災や家族の死と向き合う事になるでしょう。
「誰にも相談が出来ないという時、(こころスマイルハウスが)子供たちにとって、ここならば話を聞いてもらえる、安心して受け入れてもらえるという場所であって欲しいですね。」
「親にとっても、子供にとっても、第一の居場所は家庭であるべきだと思いますが、(こころスマイルハウスが)もうひとつの居場所になってもらえればと思います。心の復興はまだまだ遠いのです。」
志村さんは、「こころスマイルハウス」の未来の意味を、そう話してくれました。

「こころスマイルハウス」には子供達の作品が飾られている

「こころスマイルハウス」で子供達と

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