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いのちの足を守る風がふく

2015.02.09

特定非営利活動法人 移動支援Rera
特定非営利活動法人 移動支援 Rera(レラ)(以下、Rera)は、宮城県石巻エリアの移動手段を持たない高齢者・障がい者・仮設住宅の住民など「移動困難者」を対象とし、病院や買物などへの送迎支援を行っています。 現在Reraの主力スタッフは、ほとんどが地元住民で被災の当事者。地域の見逃されがちな問題を、地元のチカラで打開すべく、石巻の街を走り続けています。

毎朝のミーティングは利用者の健康・生活を守るため

朝6時半、Reraの朝のミーティングがはじまります。
今日の配車の説明にはじまり、走行ルートでの危険なポイントや、それぞれの利用者の気になる行動などを共有します。
この情報共有は、大きな意味を持ちます。以前、利用者の言動に違和感を覚えたスタッフの報告から、利用者の認知症が発見されたことがあったのです。
震災により失われたコミュニティ。Reraの移動支援は、このように利用者の健康状態の把握などにも貢献しています。
まさに、毎朝のミーティングによる情報交換が、利用者の健康・生活を守っているのです。

毎朝6時半からはじまる朝のミーティング

移動支援の現場

ミーティングを終えたスタッフ達は、それぞれの送迎作業にむかいます。
まずは、車両点検。ライトなどの確認や、車いすのリフトアップ装置の動作確認など、ていねいに、段取りよく進められます。
最初は、仮設住宅から病院へと向かう車いすの女性。
車内では、女性の旦那さんから壮絶な津波被害の状況や、被災した家屋の保証問題等、赤裸々な話が。そこには、会話というコミュニケーションをこえて、利用者の思いや悩みを吐露する場としても、この小さな空間は担っているのです。
このあとは、また別の仮設住宅から病院へ。Reraの送迎活動は、夕方まで次から次へと続きます。

仮設住宅にて送迎中のRera車

被災地における移動困難者

一般的な「移動困難者」の定義は、心身の障がいや、高齢のため自力で公共交通機関での移動ができない方々をさします。しかし、被災地における移動困難者は少し異なるようです。
車社会で形成されている多くの地方都市は、都市部と異なり、災害などで車をひとたび失うと、移動困難な層は拡大してしまいます。
行政による移動困難者の定義は介護認定を受けた人、障がい者手帳を持っている人などに限定されているため、広義での「移動困難者」を救う手だてとして、現状ではNPO等、Reraの活動は、非常に大きな役割を担っています。

車いす利用者の降車をサポート

移動支援Reraの誕生

現在、Reraの代表をつとめる村島弘子さん。震災当時は、千葉の農場で働いていました。
「あの当時の日本人は、みんな東北のために、なにかしたいと思っていたはずです。でも、現地に行っても邪魔になるだけで金銭的な支援がいいという声を多く聞きました。しかし、少しそれには疑問を感じていました。10万人の避難者がいると報道されているのに、本当に人手は必要ないのだろうか?って。」
そんな、疑問をもった村島さんは、北海道出身だったこともあり、被災地を支援している北海道のNPO団体をさがし、メールで連絡をとってみたそうです。
そして、そのNPOの代表者から、すぐに返信が届きました。
そのメールには、「あらゆるジャンルで、人手が足りていません」と・・・。
「本当に邪魔であるなら帰ってくればよいだけ。とりあえず現地に行ってみよう。」
「ちょうど3月で仕事の契約が終了するのもあって、3月末で千葉(の家)をひきはらって、北海道に一旦戻り、4月6日に石巻に入りました。」
「高速道路をおりて、すぐは、大きな被害もみられなかったんですが、沿岸部に近づくにつれ、津波の被害で灰色の町並みが視界に入ってきました。その光景に愕然としました。」
その時のグレーの視界と匂いは、今でも忘れないと村島さんはいいます。
2011年の4月に、「Rera」という名前は決まりました。「Rera」とは、アイヌ語で「風」を意味します。移動困難者を「風」のように何気なく寄り添って送り届けたいとの思いからReraと決めたそうです。
その後、地元住民で活動するべきという使命の元、Reraは、地元スタッフへの業務の移管作業をおこないます。 そのため、現在のReraの主力スタッフはほとんどが被災当事者なのです。
村島さんは、業務の引き継ぎ役として石巻に残りました。それでも4ヶ月くらいで引き継いだら、地元に帰ろうと当時は思っていたそうです。
「でも、気がついたら代表になって、石巻に住み着いていました。」

Reraの代表をつとめる村島弘子さん

単なる移動支援でなく、人の心をも動かす活動

活動には様々な苦労もありますが、一番うれしいのは利用者さんがReraの送迎で元気になることだと村島さんはいいます。
朝早くから夜遅くまでの送迎対応でたとえ疲れていても、利用者さんが日々の送迎で笑顔を見せてくれたり、おかげで体調が良くなった-等との話を聞くと、全てが報われた気持ちになるのだと。


こんな、エピソードを話してくださいました。
震災から数ヶ月後、病気で車いすが必要な利用者がいらっしゃったそうです。
その方は、震災でのストレスがあったのでしょうが、少し要望が多く、対応のむずかしい方ということで知られていました。しかし、その方を担当したスタッフは、一度もいやな顔をせず笑顔で接したのだそうです。
そんなある日、そのスタッフが地元に帰ることになり、引き継ぎのスタッフが送迎に向かいました。
引き継ぎスタッフが
「前の人は期間を終えられて帰りました。今度は私が担当しますね。」と話すと、いつもわがままなその方が
「本当にお世話になりました。ありがとうござましたとお伝えください」と言われたそうです。
この話を聞いたReraのスタッフは、感謝の言葉を聞けたことに驚くばかりでなく、とてもうれしい気持ちになれたといいます。そして、自分たちのこれまでやってきたことが間違っていなかったと再認識できたのだとも。
その方は、その後車いすがなくても移動できるようになりReraを卒業しましたが、犬をつれ散歩の途中で事務所にお礼に訪れたり、Reraの車をみかけると話しかけてくださるようになったそうです。
きっと、Reraの移動車両の空間とスタッフの思いが、その方の閉ざされた心をも癒していたのではないでしょうか。

支援車の小さな空間は利用者にとっての大事なコミュニケーションの場

地域に根ざした長期的な活動を目指して

現在、移動支援サービスは2週間先までの予約がとれるのですが、すぐに予約で埋まってしまいます。どうしてもお断わりをせざるを得ないケースもあるのだとか。そういう現状のなか、移動困難者という世に見えにくい問題をどうしたら解決できるのか?村島さんは日々悩み考えているそうです。
復興の速度は、人それぞれで、いまだに立ち直れていない人もたくさんいます。そんな方々の移動手段を守るということは、単に地理的な移動を担っているだけでは
なく、その方の人間らしい生活を守ることに他ならないのだと、村島さんはいいます。
そのためにも、地元に根付いた長期的な活動を目指して、「Rera」は今日も、石巻の街を走り続けています。

今日も石巻を走るReraのスタッフ達

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