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新しい価値を開拓する、本物志向のレトルト食品

2014.07.24

にしき食品
1938年に初代社長が創業した「西木食品」では佃煮を製造していたが、その後レトルト食品の製造に着手。現在社長を務める菊池氏が三代目となり、事業を引き継いだ。 カレーやパスタソースなどの業務用ソースのほか、本格的なインドカレーや化学調味料、香料、着色料不使用のナチュラルシリーズなどを自社ブランドで製造。本社やオンラインショップのほか、東京の自由が丘にも直売所を設け販売している。

迅速な決断と「前に進むしかない」という決意

3月11日、菊池社長は地震発生後すぐに社員を避難させました。実際に津波がきたのは、地震発生から1時間くらい後のこと。早いタイミングで避難をはじめたため、渋滞に巻き込まれることなく社員全員が無事に避難できました。工場内の電源を切った社員も避難し、最後まで残っていた製造本部長と菊池社長が帰ろうとしたそのとき、工業団地から何十台もの車が猛スピードで逃げていく光景が見えたといいます。
「海の方で海面がもやっとするのが見えたのでしょう。私たちはクラクションを鳴らしながら車の列に入り、なんとか避難することができました。後で時間を確認したところ、その5分後に津波が到達したようです。ギリギリの避難でした」
翌日、菊池社長は夜明けと同時に工場を見に行きましたが為すすべがなく、次の日は裏から回ってようやく敷地に入ることができました。しかし、社内に入って呆然。
「(玄関のプレートを指差して)このあたりまで水が来ていました。1時間くらいはただ茫然と立ち、見ていることしかできなかった。翌週になって、再び社内の設備を点検したところ、全部が泥に浸かっているわけではないことがわかりました。このとき、「なんとかいけそうだな」と思うことができたので前向きになれた。「前に進もう」と決断できたんです。あとはとにかく復旧させて、みんなで復興するんだということしか頭にありませんでした」
携帯電話が通じるようになり、菊池社長はまず日本政策金融公庫に電話をかけました。新工場建設のための資金が入金される予定になっていたので、止めてもらうための連絡でしたが、その電話で「復興資金が必要ではありませんか。政府の方針により無担保で融資できます」という話を受け、金利がどうなるかわからない状況のなか、復興資金の融資を受けることに決めました。そして、即刻幹部社員に破損した機械の発注指示を出したのです。点検の結果、空調関係や冷凍・冷房の屋外機70台ほどが海水につかり使用不能の状態で全国の業者にあたり発注しました。震災から数日のうちに全て発注したので、電気系統の機械や工場内に水を送るために必要なポンプもみつかり、破損した分の機械を購入できました。にしき食品ではそういった手配を震災から3日目には済ませることができたのです。

今年2月に完成した新社屋。おしゃれな直売所が併設されている

被災時の様子を語る菊池洋社長

玄関には津波が到達した高さを示すプレートが設置されている

早く動けば、後は何とかなる。結果は後から付いてくる

出社できない社員もいるなか、にしき食品では3月と4月は月末まで全員が出社したことにして、それぞれ1か月分の給料を支払いました。
「家を流された社員もいましたし、みんな被災して、とにかくお金が必要でした。誰一人やめることなく、工場が復旧したときにはみんなが出社してきてくれた。社員全員とその家族までみんなが無事だったということが、何よりの復興財源です。」
そして、3月末にはガソリン不足の状況も緩和し、手配していた機械が工場へ続々と入ってきました。泥かきばかりしていた社員たちは、届き始めた機械を次々に据え付けていきました。震災後すぐに発注した機械は支払いも済んでいたので、その後、宮城県初の復興資金認定を受け、工場復旧にかかった費用のうち7割を補助してもらったそうです。
「早く動けば何とかなるということです。立ち止まらず、前に進むしかありません。」
復興を加速する為に震災前に着工していた新工場を再着工し、震災の1年後に完成させました。完成後は、さらなる販路開拓が必要と考え、東京ビッグサイトへの出店など、多方面に売り込みをかけました。その結果、震災前の売り上げは28億円でしたが、現在は38億円にまで成長。菊池社長はその後も「前に前に」という思いで進んでいます。

ライフライン復旧で、震災45日目の事業再開を後押ししてくれた、岩沼市への恩返し

震災から事業再開へどのように進んでいったのか、防災対策を学ぶために他県の企業や自治体が聞きに来た際には「まずはライフラインの確保」と伝えているという菊池社長。
「工業団地も生きものです。早く電気や水が復旧しないと疲弊してしまいます。雇用を守り、増やしていくということが地元に対する最大の復興支援ではないかと思っています」
震災直後、誰もが電気と水道の復旧を望んでいましたが、なかなか要請できませんでした。しかし2週間後には「自分たちも生きているんだ」という思いに変わっていったそうです。
「工業団地の企業が連携して、社員の生活を守るためには電気と水道がないと事業再開できないということを必死に訴えたところ、岩沼市は電力会社と水道局に働きかけてくれました。当初は復旧まで3~4か月かかると思われていた電気と水道が4月5日に復旧したことで、それから一気に事業再開へと進むことができたんです」
電気が通ったことでポンプも動き出し、工場内に水が送れるようになりました。そこから一気に清掃が始まり、震災から45日目には工場を再稼働することができました。
「岩沼市長にはとてもお世話になったという気持ちを強く持っています。震災から1か月以内にライフラインを復旧してくれた。そんなエリアはほかにありません」
そういった想いがあったからこそ、岩沼市の担当者から「千年希望の丘」の応援商品を開発できないかと依頼されたときには、なんとか協力したいと思ったそうです。そして、完成させたのが、こだわりのチーズ「パニール」を使ったインドカレーを日本人向けに食べやすくしました。
にしき食品では企業としても「千年希望の丘」を応援したいと考え、収益金の一部を寄付しています。
「おいしい食事を楽しんでいただく」よう日々努力しています、一つひとつがこだわりの詰まった、本物志向のレトルト食品です。これからもにしき食品ではレトルトの新しい価値をどんどん開拓していきます」と菊池社長。
岩沼市の工場内にもたくさんのレトルト食品が買える店舗がありますが、東京の自由が丘にも店舗があります。
東京近郊の方はぜひ、こちらにも立ち寄ってみてください。
被災地支援につながる「千年カレー」「希望カレー」はもちろん、現地の味が楽しめるインドカレーもぜひ味わってみてくださいね!

「千年カレー」「希望カレー」ベースになった「パラックパニール」と「パニールマッカニー」

直売所に展示されていた「千年希望の丘」植樹祭のようす

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