ドコモグループ 東北復興・新生支援

笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト

  • HOMEHOME
  • 人々の想いが切り開いた再建への道

人々の想いが切り開いた再建への道

2014.05.22

株式会社 斉吉商店

宮城県気仙沼市にある、株式会社斉吉商店は昭和6年に食料品小売業「斉吉商店」として創業。 地場産の海産物を現地で加工することにこだわった商品の数々は全国から高い評価を得ています。 東日本大震災で本店、工場を失うも水産加工品のブランディングを中心とした再建計画が注目を集めています。

商品の開発ストーリーはこちら

従業員の連携が守り抜いた命のタレ

宮城県気仙沼市は言わずと知れた漁業の町。遠洋漁業の基地となる大規模漁港のひとつである気仙沼漁港を持ち、サンマとカツオの一大産地としても有名です。
震災前は潮見町という、その名のとおりすぐそばに海が見える場所で事業をおこなっていた斉吉商店。
今回は斉吉商店の名物おかみ、斉藤専務にお話しをお聞きしました。

斉吉商店の工場は、先代がチリ地震津波を経験していたため、一階が少し高い位置にくるように設計されていました。「だからうちの工場に水が入るってことはありえないと思っていた」と、斉藤専務のこの言葉が物語るように、東日本大震災のときに気仙沼を襲った津波は、先代の恐れていた津波の規模をはるかに凌駕するものでした。
 幸いにも人的な被害は無かった斉吉商店は、震災後、わずか4か月たらずで主力商品の「金のさんま」の製造を再開しました。
この早い復活の陰には、従業員の「金のさんま」の「返しダレ」に対する強い想いと、日頃の危機管理体制がありました。
 「和枝さん(斉藤専務)。有事のときのマニュアルを作った方がいいんじゃないですか?」現場マネージャーのその言葉から始まったマニュアル策定。
みんなが避難して、火の元に気を付けたら、次はタレを持ち出すという避難マニュアルをつくりました。マネージャーは有事の際にすぐ持ち出せるようにと、斉吉の歴史が詰まった返しダレを容器に詰め、リュックに入れた状態で冷凍保存していました。
そして、あの大地震。
被災したときは、停電した暗闇のなか、マネージャーが冷凍庫のなかからタレの入ったリュックを手さぐりで探し持ち出したそうです。
そのタレを男性社員がトラックに積んで逃げるも、津波に追いつかれてしまいそうになり、仕方なく乗り捨てて非難します。もちろん、トラックは津波に押し流されてしまいました。
しかしこの社員は避難する高台から、トラックがどの方角に流されていくか確認していたそうです。
それから3日後、トラックが流された方から斉吉商店の返しダレは発見されました。結果としてこのタレが残ったことがとても早い事業の再開につながったのです。

じっくり、丁寧に煮込んださんま

たくさんの人が待ち望んだ事業の再建

震災後は社長の指示で小売りを主体とした再建計画を建てたという斉藤専務。
百貨店は売り場を空けて待っていたり、雑誌通販の企業が2社、紙面を空けて待っていたりと周囲からの期待は相当なものでした。斉藤専務は当時自らを奮い立たせるように9月からの再開を周囲に告知していたそうです。
 社員たちのおかげでタレとレシピは残り、機械も5月初旬には発注したそうですが、原料となる秋刀魚の確保や作るための工場は一体どうしたのでしょうか?
斉藤専務にたずねると「和枝ちゃんさんま炊くのか?って聞かれて、炊きますっていったら、持っているさんまをすべて納品して頂いて、原料の確保も大丈夫だったんです」と、救いの手を差し伸べてくれた古い付き合いのあった船主の助力があったことを教えてくれました。
老舗ならではの人脈で文字どおり助け舟を得た斉吉商店は、その後、機械を動かすための電気と排水処理の都合で、岩手の工場にお願いしてOEMで商品作りを考えたそうです。
しかし、古いお取引先だったというこの会社から寄せられた言葉は厳しくも暖かい助言でした。
「そんなに大事な商品であれば自分たちの手で炊くべきだ」
この言葉を受けて斉吉商店の従業員たちは、岩手県に通いながら、再び「金のさんま」づくりを始めました。
その年の9月からは気仙沼に自社工場を借りられたそうですが「渡り歩きながら、人の絆を改めて実感しました。」と斉藤専務は話してくれました。

リニューアルしたパッケージ

新生斉吉商店のテーマはブランディング

斉吉商店の復活の狼煙となった「金のさんま」。洗練された高級感のあるデザインのパッケージに思わず感嘆の声が出てしまいます。
震災以降、特にブランディングに注力している斉吉商店は、東京の制作会社と一緒にデザインをおこない、以前はバラバラだったパッケージのデザインを統合し、ブランディングを確立しようとしています。
その甲斐もあって金のさんまは、企業がお土産に買ってくれたり、お中元、お歳暮、お年賀としても売れるようになったそうです。
震災後、早期復活を果たした斉吉商店のリスクマネジメントは、中小企業のBCP(事業継続計画)策定の参考として取材されるなど、大きな注目を集めています。

 現在、斉吉商店では個人用のおかず便の発送や通販サイトの充実化など、再生の過程で大きなスタイルの変化をおこなっています。
そのきっかけとなったのは、震災後に気仙沼をはじめて訪れたというお客さまが、三陸の魚のおいしさに驚いていたこと。
「日本一獲れているにもかかわらず知名度が低いのは、私たちがブランド化をしっかりしていなかったということですよね」と斉藤専務。
良い原料はすべて他県に渡してしまい、他県で加工、販売されている点が問題ではないかと考え、今後は自分たちの手で即時加工していることに付加価値とし、自分たちの手でお客さまに渡すことに全身全霊を傾けたいとのことです。
震災をバネにして自分たちの価値を高めようとする斉吉商店の前向きな姿勢は三陸の漁師のたくましさを体現しているようでした。

高級感あふれる外箱はなんと無料でつけてくれます

斉吉商店さんのもう一つの顔「ばっぱの台所」

斉藤専務を囲んで

株式会社 斉吉商店

■鼎・斉吉(かなえ・さいきち)
住所 〒988-0014 宮城県気仙沼市柏崎1-13
電話 0226-22-0572
■ばっぱの台所
住所 〒988-0042 宮城県気仙沼市本郷6-11

HP
http://www.saikichi-pro.jp/
オンラインショップ
https://www.saikichi.jp/
商品の開発ストーリーはこちら

このページをSNSでシェアする

関連記事をさがす

トップページへ戻る