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生産者がいるからこそ自分たちがある

2014.02.06

マルアラ 株式会社及川商店

本社工場が志津川湾のすぐ近くにあった「マルアラ 株式会社及川商店」は、5か所の工場すべてが被災し、唯一全壊を免れた1か所の工場を修復し2011年5月より生産を再開しています。 主に地元で水揚げされた海産物を生鮮品から加工品まで幅広く商品を取り扱い、自然と共生しながら「安心できる食」「健康のための食」「心が和む思いやりのある食」をお届けしています。

生産者を支えることを真っ先に

「震災の時はスタッフとミーティングしている最中だった」と話す及川さんは、従業員をすぐに避難させたそうです。
普段であれば工場周辺の資材を流されないように片付けてから避難するのですが、この時は直感的に大きな津波が来ると思い、片付けることなく避難したといいます。
震災前は5か所あった工場が全て被災。唯一現在の工場だけ全壊は免れたものの、1.5mほど津波が押し寄せ、工場内には瓦礫などが隅々まで入り機械も全部使い物にならなくなってしまったとのことです。
震災の数日前から原料を仕入れるため沖縄へ行っていた及川さんは震災の2日前の9日、いわゆる「前震」による50cmの津波で漁業施設に影響がでたという連絡があり、前倒しで10日に戻ってきたばかりだったそうです。
もし、予定通り11日に戻ってくることになっていれば、この三陸町に辿り着くまで1週間以上かかったことでしょう。
震災のあった3月は「わかめ」のシーズン。ほとんどの施設は流されてしまったそうですが、「高台に作業場を持っていた生産者の生活資金ための思いと、社員からも「早く仕事がしたい」との声を聞き入れ、被害の少なかった人たちを優先的に5月の連休明けから再開したそうです。

まちづくりなどにも奮闘する及川さん

伊里前福幸商店街はまちのオアシス

工場再建のため土地を探していた矢先に、伊里前地区に仮設商店街を作る話が持ち上がってきたそうです。
「あの地区は近辺に商店街もなかったため、休む場所もトイレもなく、パンを買うことさえもできず、買いものに行くには車で1時間以上かけて行かなければならなかった」と殺伐とした風景を思い起こしながら及川さんは話してくれているようでした。
2011年12月「伊里前福幸商店街」がオープンすると地元の買い物客だけではなく国道45号線を通る人は必ずといっていいほど立ち寄ってくれたといいます。
さらに、バスなどトイレ休憩に立ち寄った人たちやボランティアの人たちに味噌汁を振る舞うなど、「伊里前福幸商店街」はオアシス的な役割にもなりました。
漁師町のイベントやお祭りなどに欠かせない「大漁旗」。新造船のお祝いに親戚や関係者から贈られるもので、この地域では「大漁旗をみると血が騒ぐ」ほど精神的な支えにもなっています。その大切な「大漁旗」は津波によってすべて流されてしまいました。
「イベントを開催するのに大漁旗がない」と聞いた徳島県の鳴門の漁師たちが大漁旗を貸してくれましたが、漁師にとって大切な「大漁旗」はいずれ返さなければいけない。
そんな時、ボランティアの1人が「何か旗を持ってくる」と、ベガルタ仙台の旗を持ってきてくれたそうです。旗を飾ると「うちの県のチームのフラッグもあるよ」とサポーターがどんどん持ってきてくれて、ある程度揃ってくると「うちのフラッグが無い」とさらに集まり、サッカーだけではなく野球やバレー、ラグビーなど飾りきれないほど集まってきたそうです。
1つのきっかけから広がる繋がりの素晴らしさと漁師町の心意気は被災地を勇気づけ、復興の糧となっているようです。

唯一残った枡沢工場

ポストが人との絆を運んでくれた

歌津郵便ポストは南三陸町歌津地区にあるコンビニエンスストアに設置してあったポストで1年9か月、2400kmも漂流し、西表島に流れ着いたポストです。北太平洋海流に乗りハワイ諸島を半周し、北赤道海流と黒潮に乗ると西表島まで着くのだそうです。この流れに乗ったのだろうと想像はついているらしいのですが、このポストはFRP製で、そのものでは浮くことは無いそうです。
さらに、歌津地区のポストと分かったのは今にもはがれそうなシールがかろうじて付いていたからだそうで、いずれにしても偶然が重ならないと歌津地区に戻ってくることはなかったことを考えると本当に奇跡としかいいようがないです。
2013年8月11日に歌津復興夏まつりでポスト返還式が盛大に行われ、このポストのおかげで、さらに人の繋がりができたようです。
このポストと西表島からの寄せ書きが今も伊里前復興商店街に大切に展示されています。
手紙を通して人と人とをつなぐ役目となるポストが人との絆を運んでくれたことは感慨深いものです。

「伊達の銀糀漬け」製造中の工場内

ライバルでもあるが、それ以上に深い付き合い

「津波でなくなった分を復旧することが第一。現在の工場ではキャパオーバー状態になっている」と及川さんは全壊した工場を新たに建設することを目標にしているようです。
原料も震災前と比べると牡蠣が3割、ホタテが6割ほどしか復旧していないそうですが、生産ばかり復旧しても意味がないといいます。
「生産から加工、流通まですべてにおいて復旧しないとダメなんです」と及川さんは生産者と漁協の間に立ち、種付けエサの調達など生産の手助けをおこなうのと同時に、流通の面でも仲間と流れを作っているようです。
「仲間はライバルでもあるが、それ以上に深い付き合い」という及川さんは仲間を信じ力を合わせながら復興に向かっている南三陸町の結束の強さを熱く語ってくれました。
及川さんはマルアラの運営のほか、商工会の理事、志津川地区まちづくり協議会公園部会の理事、観光協会の理事など地域のまちづくりに精力的に参加しているようです。
また、若い人材を育てようと財団法人をつくり、道場のように若い人たちを鍛えているとも語っていました。
及川さんのお話を聞いていると、地域と人とつながりを大切に手を取り合って復興へ進んでいる南三陸町の底力を感じました。

フラッグが立ち並ぶ伊里前福幸商店街

1年9か月漂流した歌津地区のポスト

マルアラ 株式会社及川商店

住所: 宮城県本吉郡南三陸町歌津字泊浜22番地
電話:  (0226)36-3228
フリーダイヤル: 0120-36-3288

オンラインストア
https://maruaraoikawa01.stores.jp/

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