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いわき発掘石炭と化石の世界

2014.05.22

いわき市石炭・化石館ほるる
JR湯本駅から徒歩10分、いわき市石炭・化石館ほるるは、常磐炭田の採掘の歴史と、市内で発掘された化石の資料を展示しています。 地下にある模擬坑道を探索しながら炭田採掘の歴史を学ぶことができるほか、化石展示室では、触れる化石や、体験コーナーなどもあり、子どもから大人まで楽しめる石炭と化石の博物館です。

二度の地震に耐えて再オープン

いわき市石炭・化石館「ほるる」に近づくと見えてくるのは、インパクトたっぷりな炭鉱の採掘を想像させる滑車と恐竜のオブジェ。
そして、館内のエントランスには、10メートルはあろうかという大きな恐竜が。
これは、いわき市で発見された「フタバサウルススズキイ」という首長竜の復元標本なのだそうです。
今回、私たちは、学芸課の渡邊さんに館内を案内していただきながら、お話を聞きました。

福島県では2011年3月11日の大震災の1か月後、2011年4月11日にも福島県浜通りを震源とするマグニチュード7.0の地震が発生。
いわき市でも震度6弱を記録しました。
渡辺さんは地震の揺れで立っていられず、壁にしがみつきながら「ただごとじゃない!」と思ったそうです。
当時、館内にいたのは来館者とスタッフを合わせて10人ほど。幸いに人的被害はなく、展示物の損害も軽微で、首長竜の化石の肋骨1本が上を向き、珪化木(けいかもく)という木の化石が傾いた程度。木枠でトンネル状にした模擬坑道のなかでは人形が1体ひっくり返った程度で済んだといいます。
この模擬坑道木枠は実際に炭鉱で働いていた人が監修し、当時と同じように作られたもの。一昔前とも思えてしまう昭和時代の木枠は予想以上に頑丈だったようです。
2度の震災による被害は大きくはなかったものの、破損した個所の修理や点検のため、約4か月の臨時休館をし、2011年7月20日、再び営業を開始。
7月中は入館無料としたこともあり、多くの来館者で賑わったそうです。

ピー助のモデルになった「フタバサウルススズキイ」

理屈抜きで楽しめる化石展示室

渡邊さんはエントランスに展示してある「フタバサウルススズキイ」についても詳しく説明してくださいました。
「フタバ」という名前から福島県の「双葉町」で採掘されたと思っていましたが、これは「双葉層群」という地層から見つかったので「フタバ」とついているそうです。
そして「スズキイ」は当時高校生だった鈴木さんが発見したので「スズキ」、最後についている「イ」とは、学名はラテン語で付けることが多く、男性名詞には「イ」とつけることから「スズキイ」とつけられたとか。
通常、日本で発掘される化石は「歯」や「爪」の一部だけの発見がほとんど。
「フタバサウルススズキイ」は全体の7割もの化石が発見され、話題となった貴重な化石なのです。
ちなみに和名は「双葉鈴木竜(フタバスズキリュウ)」というそうです。
この話題となった「フタバスズキリュウ」、どこかで見たことありませんか?
そうです、これは映画となった「ドラえもん のび太の恐竜」に出てくる「ピー助」のモデルとなった化石なのです。
「ピー助」と聞くと急に親近感が湧いてきますね。

化石展示室に入るとずらりと並んだ復元標本の迫力に圧倒されます。
ほとんどが歯や骨の一部が見つかっただけの復元標本ですが、いわき市でこれほどの種類の化石が見つかっているとは驚きです。
話していると、だんだんと照明がうす暗くなりどこからともなく「ゴーッ」という音が聞こえてきました。
これには、取材スタッフ一同驚きましたが、実はこれは、数分おきに「大地と海と空」」の雰囲気を出している演出だとか。
展示してある化石のなかには触れることができる化石もあります。
実際に恐竜の卵の化石に触れてみると見た目よりツルツルした触り心地で、1億年も前のものに触れていると思うと、なんだか不思議な感覚になります。
渡辺さんが「理屈抜きで楽しめます」というだけあり「見て、触れて、学べる」化石展示室となっています。

歴史系が専門で学芸課の渡邊さん

炭鉱の歴史を学べる模擬坑道

炭鉱の町として知られたいわき市。最盛期には、全国の出炭量の約1割を占めていたという常磐炭田ですが、ほかの炭田と大きく異なるのは、温泉地帯にあるという点です。そのため、石炭1トン採掘するために40トンものお湯を抜かなければならず、さらにお湯の温度は50度から80度と高温なため、とても危険な作業だったそうです。
また、お湯を抜いた後でも、坑道内の温度は40度にも達し、湿度は100%。まるでサウナのなかで採掘作業をしているようなもので、15分働いては水風呂に入り休憩するという状況。どれだけ過酷な労働だったか計り知れません。
それでも過酷な労働条件でリスクも高かった分、給料はかなり良く、炭鉱ではたらく人々は比較的裕福な生活をしていました。
そんな常磐炭田の石炭は、実は、北海道や九州と比べると質が悪く、亜硫酸ガスも含まれていたことなどから、約11億トンほど残されたまま、1976年に閉山となりました。

館内にある模擬坑道では、安政3(1856)年頃から昭和45(1970)年頃までの炭鉱の歴史を学ぶことができます。
エレベーターに乗って模擬坑道に入坑するのですが、ここでも楽しい演出が待っていました。
本当に地下600mに降りるような雰囲気を、音と光で疑似体験しながら降りていけるのです。
雰囲気たっぷりの電球でぼんやりと照らされた坑道では、人形を使った年代ごとの採掘場面がリアルに再現されており、なかなか楽しい空間です。
また、資料パネルには当時の採掘道具の展示や掘り方の説明も書かれており、炭鉱の歴史が、分かりやすく展示されています。

いわき市に関係のある化石が並んでいる「化石展示室」

ピー助に会いに来て

「ほるる」では、体験教室として「アンモナイトの標本作成」と「コハクのアクセサリー工作」の体験できます。
アンモナイトの標本教室では、本物のアンモナイト化石から、ハンマーとタガネを使って標本を形成する体験ができ、コハクのアクセサリー工作ではアフリカ産のコハクを材料にサンドペーパーで磨き、ペンダントなどのアクセサリー作成が体験できます。
特に化石からの標本作りでは、一緒に来たお父さんが、子どもを差し置いて夢中になってしまうということがよくあるそうで、まさに大人も子供も楽しめる体験教室となっています。
また、ここでは懐中電灯を持参して暗闇のミュージアムを探検する「ナイトミュージアム」も実施していて、館外にも行列ができるほどの人気があるそうです。
そんなイベントの説明もしてくれた渡邊さんは歴史が専門で、いわきヘリテージ・ツーリズム協議会や常磐スタンデイジ協議会とタイアップし湯本町の町歩きや歴史的な建物、産業遺産をめぐるイベントや、地元の中学校では地域の歴史を学ぶための講師などもおこなっているそうです。

「来ていただいたお客さんに喜んでもらいたい」と話す渡邊さんは歴史を後世に伝えることに誇りを持っていました。
石炭と化石の複合展示をしている、いわき市石炭・化石館「ほるる」は、「学び」と「観光」が両立した楽しい施設になっています。
ぜひ一度「ピー助」に会いに行ってみてはいかかでしょうか。

当時の坑道をリアルに再現した「模擬坑道」

本物で作る!子どもから大人まで人気の体験教室

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