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ひとりでも多くの田村市のファンを増やしたい

2015.04.13

ふくしま復興応援隊 田村市復興応援隊 復興女子
総務省の「復興支援員」制度を活用し、福島県の復興に向けて各地で活躍する復興支援員を「ふくしま復興応援隊」と呼んでいます。そして、この制度は福島県内の複数市町村でも活用されており、中でも「田村市復興応援隊」の2名の若い女性スタッフ(渡邊奈保子さん、中岡ありささん)は、「復興女子」と呼ばれ、地域住民に親しまれています。 田村市復興応援隊は、被災者の見守りやケア、地域振興活動の支援などを通じて、地域コミュニティの再構築を目指しています。

平成26年4月避難指示区域解除

福島県の阿武隈高原中央に位置する田村市は、福島第一原発から半径20㎞圏内となる都路(みやこじ)地区が、原発事故による避難指示区域に指定されていました。
しかし、昨年の平成26年4月に避難指示区域が解除となり、現在では避難指示区域の約7割程度の住民が都路町に帰還しています。
田村市周辺は、地盤が固かったこともあり、震災による家屋の倒壊などの被害はほとんどなく、放射線量の低い地域もあるため、住民生活は震災前と変わっていないようにも見えます。
しかし、都路に住んでいた若い世代には、原発の仕事に従事していた人が多く、雇用先が無くなってしまったことで、他の地域で再就職し生活圏を移したことから、そのまま田村市には戻らない人が多いといいます。
「建物は無事でしたが、若い世代の帰還が無いことなど、原発の影響がいまだに色濃く残っているのが現状です。この影響で、都路の高齢化は10〜20年一気に進んでしまいました。」
そう語るのは、田村市復興応援隊「復興女子」のひとりである渡邊奈保子さん。
「(高齢者の)住民の方から、"若い世代は戻ってこないし、孫も方言が聞き取れなくなってしまった"なんて、ボソッと笑顔で言われるのですが、どこか寂しそうで。」
「私達は(高齢者の)住民の皆さんからみたら孫世代なのでかわいがってもらっています。農作物は豊富ですし、みんな、持っていきなさいってくださるんです。」と渡邊さんは笑います。

お話をうかがった田村市復興応援隊の渡邊奈保子さん(右)と福島県復興支援専門員の奥田加奈さん(左)

地元田村市出身の渡邊奈保子さん

渡邊さんは、大学で地域福祉や中間支援について学び、卒業後は社会人として、郡山の食品関連企業で営業職につきました。
そして、2011年3月の東日本大震災。
社会経験がまだまだ乏しい自分に何ができるだろうかと思い悩む毎日。そんなある日、田村市のために外部から来て活動をしている人達の姿をみて、「田村市出身の自分が動かないといけない。」という思いが強くなります。
渡邊さんは、大学の恩師に相談をしたり、ボランティア活動に参加しながら、田村市のために、自分の地元のために、自分が大学で学んできた地域福祉や支援を生かせる「なにか」を探し続けたといいます。
そんなある日、「田村市復興応援隊」の募集を知った渡邊さんは、周りからの後押しもあり、勤めていた会社を辞め、2013年9月に復興応援隊に参加しました。

地元田村市出身の「復興女子」渡邊さん

東京出身の中岡ありささん

もうひとりの「復興女子」の中岡ありささんは東京出身。大学を卒業した2014年の8月に応援隊員となりました。震災当時カナダへ留学中だった中岡さんは、帰国後に自分の周りで話される震災の話に入ることができず、自分でいろいろと調べて行くうちに、福島の原発事故の問題に興味を持ちます。
あるイベントで、直接、福島の農家の方から話を聞き、今まで自分が知ることが無かった事実を知り大きな衝撃を受け、必要な情報を自分で確かめる必要性を感じた中岡さんは、福島に移り住む決心をしました。
社会人経験のないまま、即戦力を求められる現場に飛び込んだ中岡さんは、失敗もありながらも、持ち前の明るく、くじけない性格で、地元住民の方々からとても可愛がられています。

東京出身の「復興女子」中岡ありささん(左)

応援隊の主な活動

今までの主な活動のひとつは、学生ボランティアの受け入れ。
一緒に「さとあるき」をしながら、田村市を肌で感じてもらい、住民とのコミュニケーションを体験してもらいました。
また、帰還住民のニーズの把握のための全戸訪問や、地域住民のコミュニケーションの機会を増やすための座談会なども行っています。
座談会では、地域住民の課題などを話し合うこともあり、応援隊も一緒になって考えます。特に地域分断や、放射能についての価値観の相違から、地域住民に目に見えない溝が深まっていることもあるので、住民同士のコミュニケーションにはこういった座談会はとても重要なのだそうです。
情報発信活動としてのかわら版「いいね!みやこじ」の発刊も活動のひとつ。都路に特化した情報を提供し、応援隊の活動を知ってもらうためにも、全戸に配布しています。

学生ボランティアと一緒に「さとあるき」

住民と外部の方の交流機会を増やしていきたい

渡邊さんたちが、これからの取り組みとして考えているのが「ボランティア畑」。
「学生だけではなく、社会人の方が都路へ来るきっかけになればうれしいですし、農作業を通じて都路への愛着がわいてくる方が出てきてくれたらうれしいですね。」
「(農作業を)指導することで、住民の方が元気になったり自信を取り戻してくれたら。」と渡邊さん。

また、震災前からずっと課題だった地域活性化という部分も視野に入れ、福島県県中農林事務所と田村市による「グリーンツーリズム」の企画も進行中です。
たとえば、ひまわりの種や花びらで布を染める「ひまわり染色体験」や、農作業体験、民泊など、地域の人たちも自分の地域の魅力を実感してもらいつつ、なおかつ外から来た人ともコミュニケーションを持ち、地域に人が流れてくるような、交流人口の増加にも力を入れていきたいと考えています。

「郷土料理を食べる」という企画も開催している

新たなステージに向けて

ふくしま復興応援隊を取りまとめる、一般社団法人ふくしま連携復興センター福島県復興支援専門員の奥田加奈さんはいいます。
「福島の12自治体に、ふくしま復興応援隊を配置していますが、田村市の応援隊の活動はメディアからの注目も高く、露出度が多い印象があります。」 
「震災から4年が経ち、今までは復興ということで元に戻すことを視野に活動してきましたが、これからは復興だけではない新たなステージに立っているのかなとも思います。」
これからの復興隊には、高齢化や地域の活性化など、震災前からの地域課題を解決するための次のステップへの取り組みが重要となっています。そのためにも、交流人口の増加を目指す「復興女子」の取り組みに、奥田さんは大きな期待を寄せているといいます。
「ボランティアじゃなくてもいいんですよ、福島に来てもらって楽しんでもらうことが一番なんです。」

福島県復興支援専門員の奥田加奈さん

新たなステージに向けて

最後に、渡邊さんは、小さな体から溢れる熱い思いを話してくれました。
「もともと田村市は、首都圏から移住してくる方も少なくない地域だったので、ゆくゆくはここ(田村市)に、住んでもらえるようになればうれしいですね。でも、まずはこの地域のファンを作ることが私達の活動に共通している事なんです。」
「これから帰還が進む地域にとっても、(復興女子の活動が)少しでも参考になればうれしいです。」

福島や「復興女子」の活動にご興味のある方は、ぜひ一度、田村市復興応援隊にお問い合わせください。

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