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お客さま目線で商品を考え、お客さまに喜んでもらう

2014.05.22

株式会社かわむら
宮城県気仙沼市に本社を置く水産加工品製造会社「株式会社かわむら」と、その販売会社「株式会社加和喜フーズ」は宮城県と岩手県に合わせて20か所以上の工場と冷蔵施設をもつ会社です。
「わかめ・こんぶ・さんま・鮭・いくら」の加工品が主力商品となっており、徹底した衛生管理と品質管理に取組み、安全、あんしんな製品を提供し続けています。

震災後10日で再建を決断

震災時、株式会社かわむらでは、所有する20か所以上の施設のうち、15か所以上が流出するという甚大な被害を受けたそうです。
株式会社加和喜フーズ執行役員 常務 菅原さんに2011年3月11日の震災当時の様子をお伺いしました。
「気仙沼市の防災無線では6mの津波といっていたので、大丈夫だと思っていたんです」と川村さん。
度目の防災無線で、津波の高さは10mと訂正されたそうですが、全く聞こえなかったといいます。
海にほど近い岩手県陸前高田市の冷蔵庫施設は10mの津波を想定して建設されていたのですが、その想定を上回る14mもの津波が押し寄せてきたそうです。
震災のあった3月は、水産加工会社にとって、冷蔵施設にたくさんの原料や商品が蓄えられる時期で、その数千トンという原料や商品が津波によって一瞬にして流されてしまいました。
しかし、これほど大きな被害を受けたにもかかわらず、かわむらでは人的被害がありませんでした。
この陸前高田市の施設には200人ほどの従業員が働いていましたが、最初の地震の揺れが収まった後、送迎用のバスを利用して従業員を集団で避難させたそうです。
これは非常に有効な手段だったようで、ほとんどの従業員が自家用車で勤務していたため、一斉に個人の車で避難をしていたなら、道路は渋滞し悲惨な結果になったかもしれません。
聞けば、津波を想定した避難訓練を毎年おこなっていたそうです。
この地道な努力で従業員を守れたことも、震災後わずか10日で会社の再建を決断した一つの要因にもなったようです。

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熱心に話す菅原さん

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加和喜フーズ・かわむらの原点となる商品

6か月で立ち上げないと次はない

震災直後4か月もの間、従業員たちは、ボランティアの人たちの協力を得ながら、毎日毎日、清掃活動をおこなったそうです。
「片付けをはじめたものの、自分のしていることに意味があるのかわからなくなるほどの被害で、全く先のことが考えられなかったんです。」
「でも、少しずつきれいに片付いていくと、うん、なんとかなるぞ!と、自然にモチベーションが高くなっていきました」と、川村さんは、当時の気持ちの変化を話してくれました。
実はこのとき、震災の年の9月までに「工場の再建をしなければならない」という大きな命題が会社にはありました。
一つは鮭のシーズンに間に合わせなければならないということ。
鮭のシーズンになると、1年分の鮭を一度に購入して、いくらなどの加工品を一気につくります。
つまりこの時期を逃してしまうと、いくらの生産はさらに1年先になってしまうのです。
もう一つはわかめ養殖の復旧が進み、わかめが水揚げされることが確定していたということ。
加工業者の復旧なしでは、生産者がいくら頑張ってわかめを水揚げしても、このわかめの多くが無駄になってしまうのです。頑張っているわかめ生産者たちのためにも、加工業者の早期復旧が必要だったのです。
さらに、復旧のおくれによる欠品で、ほかの地域の同業者に販売先を奪われてしまうことになりかねないという不安もあったそうです。もしこの時期に間に合わなければ、従業員たちを雇用し続ける責任を果たせなくなるという危機感もあったといいます。
「6か月で立ち上げないと次はない」といった社長の言葉は、社員すべてに伝わり、それが団結する力となりました。

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工場内の作業風景

小石1つでも掴んで立ち上がれ

現在、3つの工場を集約した工場が建設されるなど、復旧が進み、震災前の60%まで生産量は回復しています。
また再建後に、HACCPとISO9001を再度取得し、徹底した衛生管理・品質管理にも力を注いでいます。
最近、この復興に向けた取組みが評価され、大手企業やさまざまな方々の視察依頼を受けることが増えたそうです。
その際に、たくさんのお褒めの言葉をいただく半面、至らない部分の指摘を受けることもあるといいます。
しかし、川村さんは「指摘されることは教えてもらうことですから、わざわざ来ていただいて、我々の気付かないチェックまでしていただきアドバイスまでいただけるなんてありがたい」と言います。
このポジティブな思考が、短い期間で復旧への足がかりをつくった原動力になっていることは間違いありません。
また、川村さんは自分の会社だけには留まらない地域全体の話もしてくださいました。
東日本大震災の津波に対して堤防になったり、避難場所として多くの人命・財産を守った「三陸縦貫自動車道(宮城県仙台市―岩手県宮古市間)」は東日本大震災からの早期復興に向けたリーディングプロジェクトとして一気に全線を開通し、早期供用開始をしていこうという動きがあります。
この三陸縦貫自動車道が開通することによって、仙台―気仙沼間の移動時間が約3時間半から約2時間に短縮されるなど、大きく交通アクセスが変わってくることが予想されることから、
「地の利を活かして企業なども呼び入れ、人の流れをつくり地域全体を活気づけたい。震災を糧にしてステップアップすることが必要なんです」と大きな期待を抱いているようです。
さらに、震災の影響で地盤沈下し、家を建てることができない地域を利用した「陸上養殖」なども構想しているそうです。
「転んで立ち上がるのに、そのまま立ち上がったら何の進展もないじゃないですか。何かをつかんで立ち上がらなければ意味がないんですよ。」
転んでもタダでは起きない力強い気仙沼魂に、これからの未来を切り開いていく光を見た気がしました。

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社員の皆さんと集合写真

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