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地域の相棒として陸前高田の困りごとを解決する「トナリノ」

2022.07.14

一般社団法人 トナリノ

ウェブサイトやチラシの制作、イベントの事務局や運営、ワークショップの開催、事業やプロジェクトの立ち上げ支援など、陸前高田の困りごとを幅広く聞き入れ、解決している「一般社団法人 トナリノ」。
「地域の相棒」としてのスタンスを貫き、伴走するトナリノの活動をご紹介します。

震災発生直後に立ち上げた情報共有サイト「SAVE TAKATA」で活動スタート

「震災直後はとにかく情報がなかったんです。地元、陸前高田の様子を詳しく知りたいと思い、仲間と連携して地元に足を運び、情報を収集しました」
そう話すのは、現在トナリノの代表理事を務める佐々木 信秋さん。東日本大震災が発生した当時、都内でウェブ制作会社立ち上げの準備を行っていた佐々木さんは、同じく都内にいた陸前高田出身の仲間とすぐに連絡を取り合い、情報共有を行いました。ニュースで陸前高田を大津波が襲ったことがわかりましたが、地元が一体どうなっているのか詳細な情報がなく、一度、陸前高田に足を運んで状況を把握しようということに。10人ほど集まった仲間がいくつかのチームに分かれ、順番に帰郷。先に入ったチームから高速道路の状況などの情報を入手し、連携して動いたと言います。

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震災当時、都内で自身のウェブ制作会社立ち上げ準備を行っていたという佐々木さん。デジタルの知識があったことがSAVE TAKATAの活動に役立ったと話します

現在、トナリノの事務局長であり理事も務める吉田 隆介さんも当時のチームメンバーの一人。「チームをアルファベットで分けていたんですが、最終的にHチームまでありました。20人以上の仲間で連携していました」と話します。

そうしてチームに分かれて地元の様子を探っているうちに、数多くの情報が集まってくるように。収集した情報は「#SAVE TAKATA」というハッシュタグを使用し、SNSで発信しました。情報量が多いため、同時に「SAVE TAKATA」というサイトも制作。そのうち、地域で「SAVE TAKATA」が広く知られるようになり、サイトに掲載した問い合わせ先にどんどん問い合わせが入るようになりました。震災発生からわずか1週間でサイト利用者は35万人を超えたといいます。tonarino2.jpg

「当時はガラケーだったので情報を入力するのも大変でした」と吉田さん。陸前高田へ向かう車の中で、必死に入力していたと語ります

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震災直後に立ち上げた情報発信サイト「SAVE TAKATA」(一部抜粋)

「物資を持っているがどう届けたらいいですか? とか、トラックを持っていますが使っていただけますか? とか、トラックを運転できますが役に立てますか? とか。とにかく何か協力したい、手助けしたいという熱い思いを持った方が大勢いました。ぼくたちはその熱意を適切なところにつなぐということを夢中でやっていました」と佐々木さん。気がつくと、ハッシュタグ名、そしてサイト名であった「SAVE TAKATA」が団体名と勘違いされるようになっていたと言います。避難所物資仕分け.jpg

支援物資の仕分けをする様子
※写真はトナリノHPから借用

一般社団法人「SAVE TAKATA」として
さまざまな困りごとの解決に奔走

「震災から3か月くらいはとにかく問い合わせも多く、無我夢中で活動していたのですが、緊急支援も落ち着いてきた頃、改めて仲間と話し合い、長期的に活動を続けることにしました。そこで、すでに広まっていたSAVE TAKATAという名前で一般社団法人を立ち上げることにしました。現在のトナリノの前身です」tonarino3.jpg

右から、佐々木さん、吉田さん、広報代行チーム ディレクターの板林さん。
佐々木さん、吉田さんは陸前高田出身、板林さんはお隣の大船渡市出身です

SAVE TAKATAが立ち上がると、ますます問い合わせが入るようになり、佐々木さんたちは、あらゆる用途で人や物をつなぐマッチングを行うようになります。その中で、自分たちの活動の本質は、一貫して地域の「困りごとの解決」だと気づいたと佐々木さんは言います。

「本当にいろいろな困りごとを解決してきました。立ち上げ当初は、10トントラックで什器を運搬する手配とか、海外から来る支援物資を運んだりとか、避難所の運営支援もしましたが、復興というフェーズがある程度落ち着いてくると、ウェブサイトの制作やイベントの運営、事務局の支援なども入ってきました。やっている仕事内容は多様なんですが、一歩引いてみると、ぼくたちがやっていることは一貫して困りごとの解決だと気づきました。スタンスは相棒。相棒としてひたすら地域の困りごとの解決を続けてきました」tonarino8.JPEG

ドコモ開催の東北復興マルシェに商品の調達も。
震災後は東北支援のために物販をしたいという関東の会社からのニーズも多かったと吉田さんは言います

10年目で「トナリノ」に商号変更
間もなくコロナで大打撃

活動開始から10 年を節目に、法人名を「SAVE TAKATA」から「トナリノ」に変更した矢先、コロナによりトナリノは大打撃を受けます。

「正確に言うと、商号を含め、10年目でいろいろと変えようということは以前から計画していて、そのために3年ほどかけて準備していた矢先にコロナがやってきました。あ、これはまずいかもと思いつつも、3年も準備したこともあって計画を実行したんですが、びっくりするくらい打撃を受けました」
イベントは軒並みキャンセル。物販はもちろんできない。訪問することができないので、さまざまなことがストップ。「9期、10期は大赤字で、頭を抱えました」と佐々木さん。ただ、この出来事は一方で良いことももたらしたと話します。

「ぼくはコロナ前までは、どちらかというと、一人で考えて、一人で決めて、メンバーに指示するというスタイルでやっていたんです。一人、勝手に孤独にシャカリキになって働く感じで。ところがコロナでどうしようもなくなって一人で処理できなくなった。そこで、メンバーも巻き込んで、うんと話し合い、じっくりトナリノの未来のことを考えました。この時間があったことで、サービスについてしっかり考えることができたし、何より自分たちの価値を改めて見つめ直すことができました」

気がつくと女性社員も増加
地域の女性たちの活動を後押し

「今、振り返ってみると、地域の困りごと内容の変化に合わせ、ぼくたちの活動内容も変化しています。気づいたら女性社員も増えましたね」
女性社員が増えたのは、現在、広報代行チームのディレクターを務め、ライティング業務、広報支援、コミュニティ事業に携わる板林 恵さんの入社がきっかけだったそう。
2018年に入社した板林さんは、それまでも行っていた女性の活動支援をトナリノでも始めました。それは、高いスキルや豊富な経験を持ち、働きたい意思があるにもかかわらず、「子どもがいるから」などの理由で活動できていない女性が大勢いるのを知っていたから。tonarino4.jpg

板林さん。イラストや手仕事が好きだが勤務している会社に副業の相談ができなかった女性の背中を押したところ、条件つきで副業OKになったこともあるそう。
一歩踏み出した女性の笑顔がうれしいと言います

「陸前高田は小さな町なので、女性が働く場所や活動する場所は少ないと思い込んでいる女性の方がたくさんいらっしゃいます。お子さんがいるとなおさら諦めてしまう方が多い。すごくもったいないと感じます。実は一歩踏み出してみると、活動する方法はいろいろあるんですよね」と板林さんは語ります。

ある時、トナリノでの板林さんの活動が地元の新聞に掲載されました。すると、新聞を読んだという地域の女性たちからトナリノに問い合わせが入るように。そんな人たちを活躍できる場につないでいたら、トナリノ内にも女性が増加。現在、28人いる社員の半数は女性だそうです。てしごとクラブ_ワークショップ.JPG

子連れのワークショップも多数開催
※写真はトナリノHPから借用

「ちょっとした出会いやきっかけで、それまで一歩を踏み出せなかった人が実際に踏み出すことができ、活動が広がっていくんです。その場にかかわれることがとてもうれしいですし、私たちの取り組みが地域の女性たちの困りごと解決につながっていると感じています」

未来を見据え地域のニーズが変化
活動地域を広げたい

10年を振り返り、地域の困りごとの内容が変わってきたことを実感するという佐々木さん。現在は、事業支援のニーズが増えてきたと言います。

「この先、どうやって地域をつくっていくのか。産業づくりのフェーズに入っていると思います。なので、一緒に会議に参加して、ファシリテーションをしながら計画の支援をするような、そんな仕事が増えました。会議に参加する方々が多様な場合が多く、子どもから年配の方、行政の方、事業者さんなどさまざま。その話し合いをまとめていくので人間力が試されます。そういう意味では、スペシャリストよりバランス力を持ったゼネラリストが向いているような気がしますね、トナリノには」

そんなトナリノ、夢は、トナリノでやってきたことを他の地域で行うことだと佐々木さんは言います。

「地域課題、とくに過疎地域の課題って共通していることが多いんです。そしてその課題を一つの自治体だけで解決することは難しい。脱おらがまち思考が必要なんです。たとえばAという自治体とBという自治体が同じ課題を持っているとしたら、協力して解決していく時代だと思う。そこにぼくたちがトナリノでやってきた、つなぐ技術が生きるのではないかなと思っていますし、事業支援そのものもサービスとして提供できると感じています。とりあえず一つの県に2人いればいいかな (笑)」tonarino9.jpg

他地域で活動する人は「一つの県に2人」という佐々木さんに
「それだと、単純に47都道府県で94人雇わなくちゃいけない」と言う吉田さん

「一つの県に2人は少ないか(笑)。まあ、でも、トナリノはこれまでも成長してきたし、これからさらに大きく成長できるとぼくは信じているんです」と佐々木さん。

「SAVE TAKATAを始めたばかりの頃は経験がないから、失敗も多くて、メンタルがやられて動けなくなったときもあったんです。で、ある時、諸葛孔明の『座して死を待つよりは、出て活路を見出さん』っていう言葉に出会って、すごく救われた。そこから立ち上がって、とにかくやるべきことをコツコツ続けてきました。振り返るとそれが立派な技術になっていました。これってすごいことだと改めて思っています。これからも、自分たちの力を信じて、前に進んで行きます。いやあ、しかし、いいこと言いますよね、諸葛孔明は(笑)」

トナリノはこれからも地域の困りごとに耳を澄ませ、相棒として走り続けます。

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集合写真おまけ。
トナリノがオフィスを構える「たまご村」の
オブジェ前にて

一般社団法人 トナリノ

住所:〒029-2205
岩手県陸前高田市高田町字大隅93-1 たまご村内
電話:0192-47-3287
FAX:0192-47-3289

HP
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