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銘酒「浜娘」復活にかけた想い

2014.06.20

赤武酒造株式会社
株式会社赤武酒造は明治29年創業の老舗蔵元。以前は大槌町に蔵を構えていましたが東日本大震災の被害で蔵はすべて流出。現在は盛岡市にて赤武酒造の代名詞ともいえる「浜娘」を復活させています。

突然すべてを奪い去った津波

創業から百十数年の歴史を持つ老舗酒蔵「赤武酒造」を突然襲った東日本大震災。
「あのときは、怖さというよりも、これが現実か、とすごくびっくりしました」当時の様子を話してくれたのは赤武酒造代表取締役の古舘秀峰さん。
 
岩手県大槌町は震災による津波の被害が特に大きかった地域。町内の住宅の約6割が津波で全壊。
人口の約1割が犠牲になったなかで、運よく家族全員は無事でしたが、蔵と住居を失ったことで、酒造りは諦めざるを得ませんでした。
その後、古舘さん一家は、親戚を頼って盛岡へ避難することになったのです。

浜娘に情熱を注ぐ古舘さん

周囲からの励ましに再び酒造りを決意

何もしない、何もできない日々のなか、知り合いからの連絡で以前「浜娘」を扱っていた飲食店へ出かけたという古舘さん。
被災したことを心配する以前の取引先の方から「酒造りを辞めるにしても、取引先へ挨拶にいっているのか?」と聞かれたそうです。
古舘さんは、震災後に残った支払いのことで頭がいっぱいで、挨拶回りをしていないことを告げると、その方から厳しいお叱りをうけました。
自分のすべきことに気づかされた古舘さんは、かつてのお客さまへ挨拶回りをはじめます。
その先々で「酒ができたら持ってこい」、「全面的にバックアップするから」と励ましの言葉をかけられました。
 
「次第に再び酒を造りたいという気持ちが強くなった」と古舘さん。
工場を貸してくれるところを探すなかで、辿りついたのは、盛岡市の新事業創出支援センター。
その施設に空きがあったため、古舘さんはそこで大槌時代に作っていたリキュールを作ることを決意。
以前付き合いのあったところに商品を卸しながら、復興応援のイベントに積極的に参加して、そのリキュールを販売してきました。

その当時の心境を古舘さんは、「商いをするなかで、リキュールではなく、浜娘という清酒を造りたいと思った」と語ってくれました。
しかし、清酒を造るとなるとそれなりの設備のある酒蔵で酒造しなくてはなりません。同業者を回り、蔵を貸してもらえないか交渉をつづけたそうです。そんなある日、古舘さんはかつてお世話になったという桜顔酒造へ赴きます。
その桜顔酒造で、「沿岸地域に対して支援がまだ足りていない。赤武酒造を受け入れることで沿岸の支援となるならば」とよい返事をもらうことができ、2011年の10月、赤武酒造の社員が桜顔酒造の蔵で働く形でついに念願の「浜娘」の醸造をスタートさせました。

赤武酒造の新たな歴史を刻む新工場

岩手の酒造メーカーみんなで県外へアピール

その頃、赤武酒造に、もう一つ大きな出来事がありました。
それは酒造組合からのグループ補助金の話。「もう一度県外に岩手の酒をアピールしようと誘われて、参加を決意しました」と古舘さん。

同じ沿岸部で被災した陸前高田市の「酔仙酒造」、宮古市の「菱屋酒造店」とタッグを組んで岩手の酒の健在ぶりをアピール。
しかし、グループ補助金の獲得は思いのほか難航してしまいます。やはり想いを伝えなければならないと考えた古舘さんはプレゼンやヒアリングの場で「岩手の酒をもっと元気にするためにやらせてほしい」と力説したそうです。

そして2011年の年末。遂に組合から申請が通ったとの電話が入ります。
「あのときの感動を今でも覚えています。もう一回自分の蔵が持てると思うと、震えが止まらなかった」と、古舘さんは、電話を受けた時の様子を話してくれました。

それから大槌町に新工場の場所を探しはじめた赤武酒造。
しかし、当時は住宅復興が優先で企業復興用地はすぐ用意ができないと、大槌町から告げられます。
このとき、「補助金を辞退するか?」「大槌がある程度形づくられるまで待つか?」古舘さんの胸のなかにはさまざまな葛藤がありました。
古舘さんは悩んだ末、大槌での再開をあきらめ、盛岡に酒蔵を建てることを決意し、本格的に動きはじめたのです。

仕込みをおこなうタンクの様子

新工場にて「浜娘」完全復活

2012年の5月に盛岡での再建を決意した赤武酒造ですが、新しい街での工場建設はやはり一筋縄ではいかなかったそうです。

当初は夏には着工し、翌年の3月までに竣工できると思っていましたが、地域への告知や行政の部署を回っての条例の確認など、さまざまな手続きに追われ、着工ができぬまま気が付けばその年の11月末。
本来は年度内での補助金。着工が遅れたことで蔵の建設は年度内には間に合わなくなり、補助金が使えなくなるという大きな問題が発生しましたが、行政のすばやい対応もあり。特例として次年度までの予算延長が認められることになります。
あのときの、行政を含めたみんなの協力は、一生忘れられない思い出となり、新工場建設の活力になったそうです。
そして2013年の10月15日、遂に新天地での赤武酒造自社工場が完成したのです。

「10月からスタートした酒造りが今ちょうど終盤です。これからこの清酒を世に出して、みなさんに飲んで頂くのがすごく楽しみだ」と古舘さん。
私生活では二人の愛娘がいる古舘さんは「この浜娘も自分の娘のように育てていきたい」と醸造にかける想いを熱く語ってくれました。

古舘さんが愛情を込めて醸造した「浜娘」がこれからどのように熟成されていくのか、とても楽しみです。

「浜娘」誕生の瞬間

本取材は、2014年2月25日です。
カシオペアFM「三陸さ、あべ!」との共同取材です。(インタビュー模様も聞けます)
http://779.jp/sanriku_reports/2485/

完成したばかりの「浜娘」

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