ドコモグループ 東北復興・新生支援

笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト

  • HOMEHOME
  • 茨城県で経験した大震災から今、思うこと。

茨城県で経験した大震災から今、思うこと。

2018.04.03

現在茨城県の高校に通う酒井さん。東日本大震災当時、茨城県水戸市内の小学校に通っていました。酒井さんと出会ったきっかけは2016年3月に公開した「つながる ひろがる 笑顔を東北の力に」の動画をみたという1通のメールでした。震災から7年たった今、当時を振り返り感じる思いをレポートしてもらいました。

1通のメール

~酒井さんからのメール~
はじめまして。
茨城県の中学生です。
今回メールさせていただいた理由は、レインボープロジェクトの動画を視聴したからです。
大震災から長い月日がたちました。私は、当時小学三年生でした。
ここは関東で、あまり「被災地」として見られてはいません。しかし、震度6度の大きな揺れを受け大洗のほうでは、津波もありました。
私自身も家がめちゃめちゃになってしまったり、学校が壊れてしまいました。本当に怖い思いをしました。
しかし、当時小さい私は何が起こってたのかもわからず、ただただ助けられてばかりでした。
そして今、中学2年生になりました。
今なら、何かできるかもしれない。誰かを助けられるかもしれない。
そんな思いがありました。
今回のプロジェクト動画の歌のように「まだ、ちっぽけかもしれない」
でも、これからの未来をつくる人間として
手を取り合って、前を向いて、助けたい。そう思いました。
私が関わっても、何もできないかもしれないし。
受験生になってしまうから、あまり活動もできないかもしれません。
でも、被災地として知られていない茨城の様子を伝えたり東北がまた前を向いて歩けたり、原発で家に帰れない人が笑顔になれるように。
私だから出来ること、特技を生かして出来ることがあったらやってみたいなと思いました。
今回の、動画の音楽を歌っている「天月さん」のようになにか、出来ることがあったらな。と思います。
私に何かできることはありませんか。

そして、酒井さんより当時を振り返り、感じる思いについて、レポートいただきました 

3.11。私は小学三年生でした。大きな地震を初めて経験した私は、今でもあの時の恐怖を覚えています。私は、地震が発生する前、海外で起こった地震のニュースも日本では起こらないだろうと思っており、様々なメディアから伝えられる情報も当時、当事者意識のなかった私にとっては、情報の一つとして見ているだけでした。 そんな時、東日本大震災が起こりました。小学校で帰りのHRのとき、徐々に強くなっていく揺れに強い恐怖を覚え、落ちてくる天井や時計の大きな音、泣いている友人たちの声が怖さを倍増させました。避難すると、大きい地震があったとは思えないほど外は静かでした。そこに、不安が大きかった私たちは寒さに耐えながら必死に家族の迎えを待っていました。そんな時、先輩方の歌声が響きました。校歌や音楽で習うような歌が私たちの不安と暗い空気を和らげてくれました。  

家に着くと、壁にはヒビが入り、大きな家具が倒れ、沢山の物が床に散らかっている様子を目の当たりにし、改めて地震の大きさを実感しました。しかし、それだけではありません。いつも、当たり前に使用していた電気や水道などのライフラインが絶たれたことに気が付き、当たり前に生活できることのありがたさを改めて実感し、これからの生活がとても不安に感じたのを覚えています。今まで経験したとのない出来事だったため、夜もなかなか寝ることができませんでした。普段使っている、暖房器具を使わないとこんなにも寒いのかと衝撃を受け、時々起こる、大きい余震に怯えながら夜を過ごしました。

recommend_image1.jpg

震災直後の校内の様子

地震の規模と大きさ

電気や水道が復旧したときに、初めて東北の大きな地震について知りました。自分たちが経験した地震よりも大きな地震、そして津波。これらが、たくさんの大切な命を奪ったことにとても衝撃を受け、心が苦しくなりました。自然災害はとても恐ろしいものだと身をもって感じた大震災となりました。テレビやラジオでは、ずっと地震の様子と津波の様子が放送されていました。その様子は、この大震災を経験する前に見ていた他国の大地震のようでした。まさか、私の知っている地がこのような被害を受けているとは予想もしていなかったので小学校3年生だった私は言葉を失ってしまうほどの精神的ショックを受けました。

学校生活の変化

地震の後、学校が始まると私たちは仮教室での生活となりました。体育館、音楽室、理科室、様々な場所を教室にして使用していたため不自由さを感じる場面はありましたが、それ以上にあの地震の後に学校で生活できることにうれしさを感じていました。生徒個人のロッカーは地震の影響で使えなくなってしまったため段ボールで自作のロッカーを作り、廊下にカラフルな箱が並んだのを今でも覚えています。大変な生活ではありましたが、当たり前にあるものはとても大切であり、決して当たり前だと思ってはいけないと思えました。

recommend_image2.jpg

段ボールで作ったカラフルなロッカー

地震を経験して思うこと

あまり、知られてはいませんが茨城も大きな地震を経験しました。地震の大きさや、被害の大きさなどは違います。しかし、この地震で多くの被害を受けたのは確かです。あの日から7年になりますが、まだ復興していないところはたくさんあると思います。東北はもちろんのこと、同じ地震を経験した茨城も一緒に力を合わせることで復興の力になれたらいいなと思います。私自身高校生で、何ができるのか?と聞かれたら具体的には浮かびません。 
しかし、少しでも茨城の被災地の様子をみなさんに知っていただくことで、共に復興していきたいという気持ちが伝わればいいなと思います。

関連するサイト

震災から8年 福島沿岸部の教師と子どもはどう過ごしてきたか
https://rainbow.nttdocomo.co.jp/tohoku/learn/0003.html

このページをSNSでシェアする

関連記事をさがす

トップページへ戻る