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3年間の臨時休業から開校へ 双葉中学校ゼロからの再建の道

2019.10.11

荒木幸子さん

福島第一原子力発電所から20km圏内でありながら、わずか1カ月半で学校再開を果たした南相馬市の小高中学校。小高中学校で教頭を務めていた荒木幸子さんは、震災の翌年に小高を離れ、双葉町で臨時休業となっていた双葉中学校の校長に任命されました。しかし、赴任先に教職員や生徒の姿はなく、校舎もない状態。ゼロからの学校再建とは、一体どのようなものだったのでしょう。

震災後、全町避難となった双葉町の学校事情

東日本大震災により、双葉郡では小中学校合わせて10校が長期の臨時休業となっていました。中でも、双葉町は全く学校を開校できない状況。なぜなら、双葉町が福島第一原子力発電所から3km圏内にあり、震災直後、「警戒区域」に指定され全町避難していたからです。先生たちは福島県内の別の学校へ兼務という形で赴任し、全国各地に避難した200人以上の生徒たちは転学や区域外就学となりました。

震災の翌年、荒木さんはそんな状況下にあった双葉中学校の校長に任命されます。とはいえ、双葉町には立ち入ることができないため、郡山市にある総合教育支援センターの一画が荒木さんのために借りられた職場でした。そこには、校長用の机が一つあるだけ。学校に通う生徒はおらず、生徒を教える先生もいない。もちろん校舎もありません。

生徒も先生も、校舎もないのに校長先生がいる。なんだか不思議に思えますが、休校にならない限り、学校には校長が在籍している必要があるのです。

「生徒のいない学校というのは、とても辛いものです。目の前の生徒を守ること、教育環境を整えることに必死だったときは、どれだけ大変でも心がくじけることはありませんでした。でも、このときばかりは気力を失いそうになりました。私はここで何をすればいいんだろう......と。そこで渡辺和子さんの本、『置かれた場所で咲きなさい』を読んだのです。そうだ、私は生徒も先生もいない場所に置かれたんだ。ここで何ができるかを考えよう、と思うことができました」

【写真の説明】
震災の被害を受けた双葉中学校本校舎。施設が充実し、圏内でも有数の立派な校舎として知られていました。給食室は新築で、2011年4月に使用開始予定でした。荒木さんは、校長として内部状況の確認のため、防護服を着てマスクをし、何度か立ち入ったものの非常に残念な状況だったそうです。

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震災の被害を受けた双葉中学校本校舎。

ゼロからの学校再建 机一つでもできることを積み重ねる

校長就任1年目の2012年。荒木さんはまず、県内にいる先生たちに情報発信を始めました。町の状況や復興委員会の進捗などを伝える「校長だより」を作成し、先生たちに発送したのです。その際、先生一人ひとりに宛てた手紙を同封しました。

地区が変われば、物事の進め方や校風も少なからず変わります。突然の兼任勤務で、孤独を感じている職員も多いはず----。そう思った荒木さんは、手紙のほかにも各学校を訪問して先生方と直接面談をするなど、県内各地で頑張る先生を励まし続けました。

「先生には愛校心があります。兼務の学校で一生懸命教えながらも、気持ちの半分くらいは双葉町を気にかけている。兼務がとけていつ異動になるか分かりませんから、基本的に担任を任されることはありません。先生方にとっては力を思う存分発揮できない、とても苦しい状況だったはずです。『校長だより』にも、まず綴ったのは先生たちへの労いの言葉でした」

もう一つ荒木さんが立ち上げたのは、双葉中学校のブログです。最初の投稿は2012年4月10日。「初めまして」というタイトルで、全国で学ぶ双葉中学校在籍だった生徒たちや卒業生に呼びかけました。

「何か困ったことや、相談がありましたら、どうぞ遠慮なく連絡ください。総合教育センターの電話番号は×××××です」 「東北もだいぶ春らしくなってきました。開成山の桜のつぼみは、少し膨らんできたように思いますが、開花はまだ先のようです」 「今日はこれから会津坂下に行ってきます。坂下中には○○先生が、兼務されています。月曜日には、報告したいと思います」

荒木さんはできる限り毎日更新することを心がけました。ブログを読んだ他校の教職員が支援を申し出てくれたこともあったそうです。こうした小さな積み重ねが、着実に多くの人の心に届いていったのです。

【写真の説明】
2012年に双葉中学校の校長に着任した荒木さんが、県内にいる先生たちに向けて発送した「校長だより<標葉>」(一部抜粋)。双葉町の情報が、先生たちの励みになればという思いもあったそうです。

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2012年に双葉中学校の校長に着任した荒木さんが、県内にいる先生たちに向けて発送した「校長だより<標葉>」(一部抜粋)。双葉町の情報が、先生たちの励みになればという思いもあったそうです。

学校再開が決定! 双葉町の未来を担う子どもたちの居場所にしたい

校長就任から1年が経った2013年。大きな動きがありました。双葉町の役場機能がいわき市に移ったことを機に、1年以上空いていた教育長の後任人事が決定。2014年にいわき市で双葉中学校を開校することがついに決まったのです。もちろん、決定したからといってすぐに再開できるわけではありません。

「最初に取りかかったのは校舎探しです。新しく校舎を建てることにしたのですが、設計から始まるので、2014年の再開までにはとても間に合わない。このため、新校舎が建つまでの間、借りられる場所が必要でした。廃校になった山間部の学校など、とにかくたくさん見に行きましたね。最終的には銀行の跡地をお借りすることになりました。」

実は、双葉町の学校再開には賛否両論あったそうです。「(学校再開は)大人の都合なんじゃないか」という意見がある一方で、荒木さんは「町がある限り、学校はあるべき」という強い思いを抱いていました。

「新しい学校になじんで力を発揮できている子には、その場所で成長していってほしいと思います。でも、双葉への愛着が強い子や、双葉中学校で勉強したいという気持ちがある子もいるはずです。そういう子どもたちが戻ってこられる場所が必要なのではないか。さらには、将来の双葉町を担う人は、双葉で学ぶことが重要なのではないかと思ったのです」

荒木さんは、いわき市内の双葉町関係の生徒が在籍するすべての学校を訪ねて回りました。双葉中学校がいわきで再開すること、少人数だからこそきめ細やかな指導ができることなどを伝え生徒を募集した結果、双葉中学校は6人で再スタートを切ることができました。県内各地で勤務していた先生たちが一つの校舎に集まり、同じ場所で、双葉町の教育活動を続けていけることに、とても喜びを感じたそう。学校の再開を、先生たちも大変喜んでくれました。

緊急時の安全確保と教育環境の復旧の大切さを伝えたい

6人で再スタートした双葉中学校は、その後生徒数も増え、現在もいわきで継続中です。タブレット端末を活用した授業や、外部講師を招いた特別授業、部活動や課外学習など、学校生活の様子は双葉中学校ホームページで見ることができます。

「(教頭や校長などの)管理職の仕事は、子どもたち、先生たちが力を発揮できる環境を整えること」と語っていた荒木さん。災害などの緊急時に、どれだけ子どもたちの安全を確保し、教育環境を復旧することができるか。これまでの経験を、今後は多くの人に伝えていく予定です。

2018.04.03

茨城県で経験した大震災から今、思うこと。

関連するサイト

荒木幸子さん(前編)はこちら/「学校に“想定外”があってはいけない」小高中学校1年間の記録
/tohoku/learn/0005.html

荒木幸子さん

1982~2011年、福島県いわき市、相馬市、南相馬市の7校で教諭、教頭を務める。2011年3月以降、南相馬市立小高中学校、双葉町双葉中学校と楢葉町立楢葉中学校の再開に携わる。14年南相馬市立原町第三中学校校長、16年楢葉町立楢葉中学校校長。同校は、いわき市中央台仮設校舎から17年4月に楢葉町本校舎帰還。19年3月31日楢葉中学校退職。

福島県双葉町立双葉中学校ホームページ
http://futabajh.blog.fc2.com/

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