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津波から8年、ようやくスタートラインーー浦戸諸島で若者が農業を始めた理由

2019.07.26

寒風沢農園

塩釜港から汽船でおよそ30分。小高い丘と青い海が調和する、豊かな自然いっぱいの浦戸諸島には今も人々が暮らし、島ならではののどかな時間が流れています。寒風沢農園代表の加藤信助さんは、震災復興や高齢化、人口減少などの課題に直面しながらも、島での就農を選びました。

震災をきっかけに「自分がどうありたいか」を考える

日本三景のひとつとされる宮城県の松島。複雑な地形を持つ大小合わせて260の島々が、湾に浮かびます。そのうちの浦戸諸島と呼ばれるエリアは、桂島・野々島・寒風沢島・朴島の4島に合わせて400人ほどが暮らしています。寒風沢島で農業を営む加藤信助さんもその一人です。2017年より自分の畑を持ち、玉ねぎや長ねぎを中心に栽培しています。

加藤さんが農業を始めたきっかけは、東日本大震災でした。当時、仙台で会社員をしていた加藤さん。自身や家族に被害はほとんどなかったものの、生活インフラの麻痺により会社は営業できない状態が続きました。

より深刻だったのは、自身の故郷である塩竈市です。本土でも4mほどの津波が押し寄せ、市全体で13000件以上の家屋が被災しました。仙台と塩竈は車で40分程度の距離。加藤さんは毎日のように友人や親戚のところに出向き、家の片づけなどを手伝いました。

たった1回の大きな地震で、町の賑わいはおろか人の命も奪われてしまった――。物質社会の限界と人生の有限性を目の当たりにした加藤さんは、「本当に自分がやりたいことは何か」を問うようになります。

「すぐに明確な答えが出たわけではありませんでした。けれどもその当時の自分は、ありたい姿とは違うなと感じたのです」

加藤さんは勤めている会社を辞め、もっと素の自分でいられる仕事や場所を探そうと決意しました。

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寒風沢農園代表の加藤信助さん。

"食"の大切さを体感し、未経験の農業に飛び込む

震災から半年ほど経ったある時、ひとつの答えに行きつきます。それは"食"にまつわる仕事をしようというものでした。被災した地域では地震の直後に物流システムが崩壊し、十分な食事ができない状態がしばらく続きました。そうした中で、食べることの重要性を加藤さんは感じたのです。特に注目したのは農業でした。

「一次産業は食の原点にあたります。土を耕すことやじっくりと農作物を育てることも、自分の性格に合っていると思いました」

農業とは無縁の生活を送ってきた加藤さんでしたが、就農について調べていたところ興味深い情報を入手します。津波で壊滅的な被害にあった、寒風沢島の水田を蘇らせようというNPOのメンバー募集でした。寒風沢島は加藤さんの祖父母がかつて住んでいた地域ということもあり、縁を感じたといいます。加藤さんはすぐにエントリーしました。

「NPOに集まったメンバーは、私も含めて米づくりは初めてという人たちばかり。島の人の助言を受けながら手探りの日々が続きました」

寒風沢島には川がなく、雨や雪解け水などの天水が水源です。稲の栽培には特殊な環境であり、かつ津波により土壌は塩害を受けていたため、成果を上げることが難しい環境にありました。NPOでは震災復興の補助金で雇用の財源をまかなうしくみということもあり、活動にはリミットもあります。加藤さんは次第に独立を考えるように。5年間のNPOでの活動を終えた後は農業大学校で1年間農業を学び、現在に至ります。

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震災前からも耕作放棄が目立っていたという寒風沢島。NPOがスタートさせた、米作りからオリジナルの日本酒をつくるプロジェクトを加藤さんらが受け継ぎ、取り組んでいます。

島ならではの時間の流れに魅了され、就農を決意

ところで浦戸諸島も含めた塩竈市は、農業が盛んな地域というわけではありません。市役所には農政部もなく、専業農家は加藤さんを含めて数人しかいません。高齢化と後継者不足で規模を縮小し、水田や畑を持つほとんどの人は自家用に育てている程度です。それでも加藤さんが寒風沢島を選んだのは、島ならではの不便さに魅了されたからです。

「島にはコンビニもありませんし、電車もバスも走っていません。大きな建物はなく、集落に家が並ぶだけ。船便はお金がかかるから物流も活発ではないし。モノを手に入れるには、とても不便な場所です」

けれどもモノや情報が飽和していないから時間がゆったりと流れているし、じっくりと一つのことに取り組める。加藤さんは島の日常が自分に合っていると感じました。

「八丈島のリゾートホテルで4年ほど働いていたことがあるのですが、その時も快適な気分で過ごしていました。就農にあたり、県の機関に相談して他の地域を勧められたのですが、結局寒風沢島に落ち着きました」という加藤さん、「せっかくならば、誰もやってないことにチャレンジしたい」という気持ちも後押しとなりました。

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寒風沢島の高台から。塩竈市は漁業がさかんな地域で、島でも海苔や牡蛎の養殖が行われています。

手塩にかけて育てた玉ねぎは、塩竈の子どもたちの胃袋へ

加藤さんは現在、2つの畑を所有しています。メインで稼働している畑は竹林のそばにあり、最初は土を掘り起こして竹の根を除くことからスタートしたといいます。栽培から収穫まで、すべての工程をほとんど加藤さん一人でこなします。

「島の人たちは高齢ですし、自分の農地ですら持て余している状態です。それに自然は先が読めない部分も多いですから、少しずつ自分のできることをやる感じですね」。自分のペースを見極めながら、じっくり取り組んでいる様子がうかがえます。

市としても、若者の挑戦が報われるよう、一生懸命バックアップしています。例えば加藤さんの玉ねぎや長ねぎは同じ浦戸諸島にある小中学校の給食に採用され、塩釜の子どもたちに好評です。

「特に玉ねぎは単価があまり高くないため、私のように生産量が限られている環境では通常の流通ではほとんど利益になりません。そこで市役所の協力のもと、直販に近い販売ルートを開拓しました。市内のレストランやマルシェなどへの納品も増えています」

一方で加藤さんと地域の距離も近くなりました。島の祭りに参加するほか、地域の子どもの農業体験をアシスタントしたり、島の公民館で夜間の管理人を担ったりしています。

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畑で採れた玉ねぎ。学校給食でも好評です!

若者が農業をできる島へ、時間をかけた取り組みを

現在、寒風沢の田畑は存続の危機を迎えています。島で米をつくる農家は2人だけ。島の自慢だった田園風景も、稲のかわりに葦が勢いよく伸びている箇所が目立ちます。少しでも島での農業をアピールしようと、住民たちと生産組合を立ち上げてトウガラシの栽培を始めてはいますが、持続性の意味ではやはり若い担い手がカギを握ります。

「だからまずは、自分が寒風沢島でも農業を営めることを証明したい。今の取り組みを軌道に乗せることが重要だと思っています」

加藤さんは昨年から、2つめの畑づくりに着手しています。震災時の津波により、塩害のひどかった区域です。

「この辺りは塩害と除塩作業の影響で、土がやせ細ってしまっています。ですからまずは土づくりから始める必要があります。本当はたい肥を混ぜればいいのだけど、本土から取り寄せると価格は5~6倍に跳ね上がるので難しい。そこで今はこの土地にアブラナを蒔き、枝葉を土にすき込む緑肥という方法で土を育てています。3年計画で、土を完成させる予定です」

そして加藤さんは、この畑では玉ねぎや長ネギとは違ったものを育てたいと考えています。

「できることなら、ひとつの品種に特化したプロフェッショナルになりたい。例えばイチジクとか育てられたら。寒風沢島では昔、民家の軒先にイチジクが植えられていたそうなんです。新しい寒風沢島ブランドが生まれたら面白いなと思っています」

農家としてのキャリアは、まだまだ先の見えないことばかり。けれども加藤さんの表情は、充実感に溢れていました。

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アブラナをすき込んだ加藤さんの畑。奥には震災を機につくられた防潮堤が見える。

関連するサイト

浦戸諸島への旅情報についてはこちら
/tohoku/go/0014.html

寒風沢農園

住所:宮城県塩竈市浦戸寒風沢字寒沢3丁目5番
電話:090-5351-8579

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