ドコモグループ 東北復興・新生支援

笑顔の架け橋 Rainbowプロジェクト

  • HOMEHOME
  • 郷土芸能で東北の点と点をつなげ、次世代へ発信する

郷土芸能で東北の点と点をつなげ、次世代へ発信する

2017.06.28

全日本郷土芸能協会、縦糸横糸合同会社

全日本郷土芸能協会 事務局次長の小岩秀太郎さんは、岩手県一関市舞川地区の出身です。地元に伝わる郷土芸能「行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)」の伝承者でもある小岩さんは、東京を拠点に郷土芸能のネットワークで活動しています。近年は震災での被災芸能支援や、リオ五輪での芸能派遣などに従事するほか、「東京鹿踊(ししおどり)」を結成、また、東北の地域文化に関連するイベントやプロジェクトの企画を行う縦糸横糸合同会社を設立し、郷土芸能をいかに伝えるかということに力を注いでいます。
写真は、鹿踊の衣装を身に付けた小岩さん(撮影:西村裕介さん)

変化しながら受け継がれてきた郷土芸能

東北地域で長年受け継がれてきた「郷土芸能」ですが、特に東日本大震災前は、その土地の人以外は目にする機会が少なかったのではないでしょうか。「震災があったことで、結果的に東北に残るたくさんの郷土芸能が、日本中に知られることになりました」と話すのは、全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎さん。

中でも岩手県の郷土芸能の数は国内最多とされ、独特の世界観を今も伝えています。例えば、漁業に携わる人々は大漁を願い、天候が悪く嫌な予感がするときは事故が起きないようにと願掛けをします。
「郷土芸能は、その土地で暮らす人々が、どうすればよりよく生きていけるのかを模索する中で生まれたもの。そして、次世代やその次の世代もずっと、よりよく生きていけるようにという願いを込めて伝承されてきました」と小岩さんは語ります。

小岩さんが生まれ育った岩手県には「鹿踊(ししおどり)」という郷土芸能が受け継がれてきました。「しし」とは古語で野獣の肉のことを指し、食料だった獣への供養や感謝の想いが芸能化したものです。現在も、お盆の鎮魂供養や秋祭の豊作祈願で踊られています。

何世代にもわたって粛々と受け継がれてきた歌や踊りが、時を経る中で人々に驚愕や感動、楽しみを与えるような熱を持った表現へと変化していき、アートへと昇華したのが現在の郷土芸能の形ともいえます。contents_image1.jpg

行山流舞川鹿子躍保存会

震災直後から次々に復活、地域コミュニティーの再生につながる

震災後に東北の郷土芸能に関心を持つ人が増えたのには、4つの複合的な理由があるそうです。

まず、一つ目は「そもそも東北にはたくさんの郷土芸能が残っていた」。二つ目に、「多くの継承者、使っていた楽器などの道具、その保管場所、つまり文化そのものが津波や火災、原発事故で被災した」。三つ目は、「亡くなられた人の慰霊や、家に帰れなくなった人をどう元気づけるか考えたときに、郷土芸能である歌や踊りが盛んに行われ、復活する動きが見えてきた」。さらに四つ目として、「その様子をマスコミが取材して発信された」----この4つの理由が重なり、注目が集まったのです。

岩手県出身である小岩さんは震災直後から現地の状況を熟知しており、全日本郷土芸能協会としても郷土芸能は何があっても復活するだろうという強い信念を抱いていました。しかし、震災から2カ月、活動を再開しようとしても、被災地ではまだまだ日常生活に戻れない状態でした。一方、東京など被災地以外では、祭りなどにぎやかなイベントに対して自粛ムードが広がっていた時期でした。

「そんな中でもみんなが集まるきっかけになって、"集まったら酒でも飲むべか"って大義名分にも使えたんです(笑)。地域を復活させるために、娯楽的な要素も少しずつ取り入れようとしました」。震災後、東北の伝統芸能は、地域コミュニティーの再生にも重要な役割を果たしたのです。contents_image2.jpg

行山流舞川鹿子躍の伝承者として、依頼があれば各地で「鹿踊」を奉納することもあるという小岩さん

沿岸部の活気を内陸へ、東京へもっと伝えたい

ひとことで「郷土芸能」といっても、同じ岩手県内でも内陸部と沿岸部ではその文化にも大きな違いがあります。内陸部出身である小岩さん自身も、震災以前はよく知らなかったと言います。

「沿岸部の祭りが面白いという噂は聞いていました。実は、内陸は新幹線も高速道路も通っていて物流もよく、沿岸部よりも豊かな生活をしていると思っていたんです。しかし、実際に祭りを見たら内陸よりも元気で、若者がすごく多く参加していて楽しみながら参加していることにショックを受けました。沿岸部では伝統を理解しながらも、どんどん新しいものも取り入れてアップデートしている。だから若い連中も面白そうだとついてくる。それに対して内陸は、昔から続いているものを変えちゃいけないという感覚が根強かった。だけど、苦痛を感じながら続けていても次の世代の憧れになりませんよね。沿岸の活気のある姿は内陸に伝えないといけないし、僻地だと思われていたところから学んだことを、もっと知ってもらうためにも日本中へ、世界へと発信しなければと思いました」

以前は、個々の地域内で完結して受け継がれてきた郷土芸能。震災後、小岩さんは点と点を結ぶ線のようにネットワークを構築することで、新たな交流や情報交換を行い、さらなる地域の活性化につなげることにも使命を感じています。contents_image3.jpg

大槌まつりでの鹿踊。若者たちに勢いがあり、鬱屈しているものを一気に吐き出すようなパワーがあふれる。ここにはかつて町があった。(平成24年9月23日岩手県大槌町)

次世代の若者たちも、郷土芸能を通じて多くの人と関わり続けていってほしい

岩手県では約半数以上の小・中学校で郷土芸能を教える時間がありますが、継承者を育てることにはつながっていません。この現状をどう打開するか、というのも課題です。
「僕が主宰している"東京鹿踊"で関わりのある人をテスト的に田舎に連れて行き、外の人にゆだねるという可能性があるのか?と考えるところもありますね」

震災後は県外からも多くの人が足を運ぶようになっています。また、ラグビーワールドカップ2019や、2020年の東京オリンピック・パラリンピックなどの国際的イベントなどで、国内外に岩手県を発信する機会が増加することを見据え、郷土芸能の体験や地域文化、人材の掘り起こしも進めています。

「ただ長く続いているだけが伝統ではないと思うんです。長年受け継がれてきた郷土芸能は、何がきっかけで始まったのか。その"核"となる部分には、地域で暮らす人々の願いや祈りが込められていることを理解してほしい」と小岩さんは話します。

郷土芸能の活動を10年以上続けている小岩さん、次世代の若者たちが生きる世の中がもっと良くなってほしいとの願いが、活動への原動力になっています。

「せっかくみんなで考えながら続けてきたものなので、今後も地域やものに関わる人が居続けてくれたらいいなと思います。郷土芸能を続けることも大事ですが、そこから派生してそれぞれの地域の文化を広める中で、次の世代の世の中がさらに明るくなっていったらいいですね」

contents_image4.jpg

観るだけでなく、ふれる、作る、踊るなどの体験を提供し、また多分野と積極的にかかわりながら郷土芸能の可能性を広げる活動しています

全日本郷土芸能協会、縦糸横糸合同会社

全日本郷土芸能協会
http://www.jfpaa.jp/
縦糸横糸合同会社
https://tateito-yokoito.com/

このページをSNSでシェアする

関連記事をさがす

トップページへ戻る