津波で全壊した工場を再建させてくれたのは、人とのつながり
2019.10.09
株式会社井戸商店
岩手県釜石市で創業して51年以上になる、老舗の水産加工会社です。イカを専門に取り扱っており、学校給食や飲食店で使用されるイカの切身やイカリングなどの加工品を生産しています。東日本大震災では、津波により工場が全壊。しかしわずか1カ月後に事業を再開し、1年後には新工場を立ち上げました。岩手県から、関東・関西など全国各地へと食材を届けています。
写真:代表取締役の大橋武一さん。
高い技術力を持った、イカの専門家
「イカといえば、井戸商店だね」。長らく日本の水産業界の中心だった築地では、かつてよくそんな声が聞こえていたのだそうです。
株式会社井戸商店は、1968年に岩手県釜石市で創業しました。当初は鮭やサンマなどさまざまな魚を取り扱っていましたが、やがてイカを専門に取り扱うように。厳選した商品を徹底して突き詰めることでその加工技術の高さは誰もが認めるところとなり、「イカといえば井戸商店」と呼ばれるまでになりました。
創業時から積み重ねてきたこだわりを忘れないよう、現在も出荷箱には「イカのことなら井戸商店」と書かれています
現在、井戸商店の加工品は、小中学校の給食や飲食店で提供されています。例えば「とんかつ和幸」のイカフライや、「くら寿司」のにぎり寿司などで井戸商店のイカを食べることができます。
東北・岩手県から、関東・関西と全国へ販路を広げている井戸商店。しかし、東日本大震災では、2つあった工場が津波によって全壊しました。大きすぎる傷を負いながら、どのようにして再び立ち上がったのでしょうか。社長の大橋さんにお話を伺いました。
「くら寿司」で提供されているイカのにぎり寿司
被災後、わずか1カ月で事業再開
釜石市は、岩手県の中でも特に津波による被害が大きかった地域です。釜石湾に面していた井戸商店は、2つの工場を全て失いました。幸いにも従業員は全員無事でしたが、断腸の思いで全員を解雇。雇用の継続を保証できるような状況ではありませんでしたから、少しでも早く失業手当がもらえるようにという思いでした。
「数日後、近所にあった協力工場の方とばったり会うことができました。その工場は難を逃れたと聞き、気付けば『じゃあ、また一緒にやりましょう』と言っていたんです。今振り返ってみると、なぜすぐにそんなことを言えたのかはわかりません。ただ、私たちはずっと小中学校と取り引きをしていたので、『急に製造を止めてしまったら、学校の人たちが困るだろうな』とは考えていました」
震災からわずか3日後、避難所での決断でした。
「続けるか、やめるか、という迷いはありませんでした。とにかくそこに工場があって、自分たちも無事だったのだから、やるしかない。再開の日は、震災から1カ月後の4月11日と決めました」
腹を決めてしまえば、あとは動くだけでした。取引先へ再開の連絡をし、工場の機器を整え、以前働いていた従業員の何名かに声をかけ...。そして計画通り、震災から1カ月後に事業を再開したのです。
友人たちの力が工場再建の後押しとなる
協力会社の敷地を借りて仕事を続けること数カ月。再び工場を建てるべきかどうか迷っていた大橋さんの背中を押したのは、友人たちでした。
「お見舞いにと遠方から来てくれた友人夫婦が、『また工場をつくらないとね!』と声をかけてくれました。何気ない一言だったと思うのですが、その言葉が後押しになって、決意が固まりました」
その友人が建築関係の仕事をしていたことから、その場で設計を依頼。二つ返事で引き受けてくれ、建築計画はあっという間に進んでいきました。そして2012年4月に新工場が完成。以前よりやや小さくはなりましたが、その分使い勝手にこだわった新工場です。
1階が工場、2階が事務所になっています
ただ、売り上げが思うように伸びませんでした。以前の取引先に連絡を取ってみても、既に新しい企業と取り引きを始めていることも多くありました。会社を軌道に乗せるべく、しばらくの間は利益を度外視してとにかく売り上げを伸ばすことに注力しました。
新工場では、従業員が使いやすいよう、工場内の導線にこだわりました
震災を機に生まれた縁
現在も販売活動が一番の課題だといいますが、震災後には新たな出会いもありました。「何か力になれることはありませんか」と、わざわざ釜石まで足を運んでくれた企業があったのです。現在も取り引きが続いている、「とんかつ和幸」でした。
「それまで全くお付き合いのなかった企業なので、本当にありがたかったです。そうした周りの方々のお力添えがあって、少しずつ売り上げを伸ばしていくことができました」
震災後に新たに取り引きが始まった「とんかつ和幸」。
イカフライの素材として使われています
震災後すぐに力を貸してくれた協力会社、快く工場の設計を引き受けてくれた友人たち、わざわざ釜石へ足を運んで取り引きを呼びかけてくれた企業...。さまざまな人とのつながりによって、井戸商店は再び立ち上がることができました。
震災時にゼロになった従業員数は、現在20名余りにまで増えています。しかし、工場の再建はゴールではありません。お客様や従業員の役に立つことこそ、会社の意義です。より品質の高い製品を生み出し、力を貸してくれた人たちへ恩を返すために、井戸商店はこれからも一歩ずつ進んでいきます。
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