三陸の海の幸せの原石を磨く
2022.11.17

株式会社シャイン 代表取締役 桑野祐一さん
東京都出身で、2012年10月に大船渡市に移住。移住前はITプログラム系企業での勤務やフリープログラマー、営業職などに就き、日本各地の旅や茨城県での災害ボランティアも経験。様々な体験のなかで、疲弊していく一次産業の現状に危機感を覚え、活動の糸口を模索。2020年に、合資会社シャイン(1998年創業)を先代から事業承継し、未利用資源の有効活用に取り組んでいます。
「三陸・大船渡を代表する新しい食品を作りたい」と話すのは、岩手県大船渡市にある株式会社シャインの代表取締役を務める桑野祐一さん。大きさや形などを理由に捨てられてしまう未利用食材の商品化を行っています。美味しく食べられるのに市場に出回らない食材の加工をし、より魅力的な商品に作り上げ、消費者へお届けしています。
"三陸の未利用資源の磨き上げ"に取り組む桑野さんの挑戦をご紹介します。
食べずに捨てられる食材を資源として活用したい
岩手県大船渡市の人口は約3.5万人で、県の沿岸南部に位置しています。ワカメ養殖の発祥の地でもります。
桑野さんの事業について伺いました。
「漁業の現場では、形や色が悪い、サイズが小さいなどの理由から、市場に出ず廃棄されるものが必ず出ます。硬くて食用に不向きとされるものも、加工して別の食品に変えると、実はものすごく栄養価がある美味しい資源だったりします。そんな資源を発掘し、栄養のある美味しい食品として皆さんに届けたいと思っています」
漁場での未利用食材は、大船渡のみならず全国的にも同様と言われ、形やサイズ、収量の少なさが原因で買い手が付かず、総漁獲量の1割強が未利用となっているというデータもあります。
「大船渡は磨けば光る食材の宝庫だと思っています。捨てずにより魅力的な商品にできれば、いずれは漁師さんの収入の増加や漁業のイメージアップにつながると思います。事業はまだまだこれからです」
「もったいない」。でも何もできなかった
桑野さんには20代の頃、徒歩や自転車で日本全国を旅した経験があります。そのなかで出会ったある漁師さんとの会話が、未利用食材の鮮明な記憶のルーツだと教えてくれました。
「小さいカキやホタテが捨てられていく様子を見ました。多少は自家消費するけど、処理しきれないほどの量だから、結果的に捨ててしまうそう。『捨てるなんて、もったいない』と私が言ったんです。すると、その漁師さんは『お前だったら何に使うんだ?』って。知識もないから何も答えられなかった......。その話が鮮明に残っていて、ずっとモヤモヤしていました」
旅を終え、ぼんやりと地方や自分の住む街のまちづくりに貢献する方法を考えながら、関東でサラリーマンとして仕事をしていました。東日本大震災が起きたのは、その頃のこと。
まちづくりへの想いを行動に移し、当時住んでいた茨城県の被災地域でボランティア活動を開始します。震災から半年経ち茨城での支援が落ち着いた頃、東北の被災地の様子をインターネットで検索しました。
「映像で観て、半年も経っていたのに震災直後とほとんど変わっていないと思いました。これは一度、自分の目でしっかりと見ておこうと、すぐ東北行きを決めました。被災地には、多くの人が出向き新しい力で新しくまちを作っている。自分もまちづくりに関われるかもしれないという想いがあり、来たのが大船渡でした」
2012年7月
大船渡に訪れた当初に桑野さんが撮影した写真
漁師ではない自分だからできることがある
大船渡へ移住し、ボランティア活動をきっかけに、地元の漁師と話す機会も増えます。改めて未利用食材を考えることになりました。
漁に出るだけではない細かい作業も多くあります
「漁師さんはほとんど休まずに一生懸命に仕事をしている。手間ひまかけて作ったものだから、一度は活用を考えるそうです。手が回らなく捨てざるを得ないのは日々の仕事で精一杯だから。それなら、漁師ではない自分だったら活用する方法を探せるかもしれないって思いました」
美味しく加工し、価値あるものに磨き上げて、食品のロスや廃棄コストをなくす活動をしよう。漁師に副収入として還元できる方法を模索します。
「未利用資源のほかにも『息子には継がせたくない。5年後の漁場にお金を稼げるイメージがない』と話す漁師さんもいました。僕が聞いた中では、この言葉が一番ショックで。何をやっても無駄と考える漁師さんもいます。三陸には、こんなにいいものがたくさんあるのにって。私の大好きな三陸の海を自分なりに守りたいとも思いました」
若い漁師もいます
「海や漁業に未来がないわけではない」と言います
想いを受け継ぎ・価値を磨き光るものへと
株式会社シャインの前身は、1998年に前社長である熊谷照男さんが合資会社シャインとして設立した会社。シャインは設立当初から未利用資源の有効活用に取り組んでいました。前社長の熊谷さんは70代で震災に遭い、80代となった頃、後継者をどうするか悩んでいました。
「私がやりたいことを熊谷さんにお話ししたんです。そしたら、同じ想いを持っていると思ってくれたのか『お前がやりたいことをやってみたら』って。私が会社を受け継ぐことになりました。熊谷さんとの出会いが、僕の想いにやる意味を与えてくれたのは確かなんです」
工場の大きな釜は
熊谷さんから引き継いだ大事なもの
事業を受け継いだ現在、硬くて栄養豊富な部分にも関わらず、全て廃棄されていた昆布の根を粉末に加工し、海水塩とあわせた「昆布根藻塩」など複数商品を開発。自社のECサイト「三陸みがき屋」や道の駅高田松原にも出品し、全国に美味しい三陸の海の幸を届けています。
最近は、サイズが出荷規定に満たないアワビを利用した新商品「アワビ塩(仮称)」の開発中なのだそう。
「三陸を代表するお土産になるといいなと思っています。この地域に来ないと食べられないもので『こんなに美味しいものがある大船渡にまた行きたい』と感動してもらえる商品を作れたらいいですね。海の幸も山の幸もある大船渡をもっと知ってもえたら。この事業が魅力的なまちづくりの一助になれたらいいですね」
釜石市「魚河岸ジェラート」にも
昆布根藻塩が使用されています
幸せになるイメージを想い描く
桑野さんの想いの中心になっているものは何でしょうと伺うと、言葉を紡ぐように答えてくれました。
「どうしたら人は幸せになるんだろう、って結構考えるんです。幸せの形は人それぞれ違うし、できることも違う。自分ができることは限られているし、特別なことができるわけではない。人や地域が幸せになるイメージに向かって自分なりにやっている、それだけなんだと思います」
実は東京で仕事をしていた時に、桑野さんは悩みを抱えていたこともあったそうです。
「東京で、そこそこいい企業に勤めていたと思うんです。でも、心のなかでは"本当に自分が生きていていいのか"なんてことを考えていた時期もありました。その経験があったから、どうしたら価値が生まれ、どうしたら人が本当の意味で幸せになるのか。幸せに生きれる社会に向かいたい。だからちょっと面倒なことや辛いことがあっても、やってみようと思えるんです。原動力はそこなんだろうと思います」「産業には課題もありますが、やっぱり三陸はいいものを作っているし、美味しいものもたくさんある。三陸の幸せの原石を磨いてみなさんに届けていきたいです」
大きさや形にとらわれずに今あるものの価値に気が付くこと。
それが本当の豊かさ、本当の幸せに近づくことなのかもしれません。
【取材・記事執筆】
一般社団法人トナリノ 板林 恵

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