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浄土ヶ浜「押し」でいくのが私の役目

2014.02.24

浄土ヶ浜旅館/味処海舟
宮古駅から東へ15分ほど歩くと宮古市役所前に白を基調とした3階建ての建物があります。白い壁には赤銅色のラインが入り、黒褐色の縦格子には白文字で「浄土ヶ浜旅館」と、はじめて訪れてもわかりやすい建物となっています。 昔から料理宿として人気がある「浄土ヶ浜旅館/味処海舟(かいしゅう)」は3代目となる若女将が「おもてなしの心」を大切に、お客さまを迎えています。

お客さまの言葉に背中を押されて

宮古市の日立浜で1960年に創業した浄土ヶ浜旅館は1998年に貰い火で全焼し、宮古湾に程近い同市光岸地へ移転後、2011年東日本大震災の津波によりすべて流出、2013年6月15日に宮古市役所前にて再オープンを果たしています。
宿が火事に遭った時は町が残っているので頑張ればすぐ再開できるだろうと思っていたが、津波のときは宮古が全部無くなったんじゃないかと思うような光景に、「もうダメだね観光稼業はここで辞めようか」と浄土ヶ浜旅館の若女将、近江さんは非難した高台から津波に飲み込まれる光景を目のあたりにしながら思ったそうです。

浄土ヶ浜旅館や味処海舟に来てくれていた多くのお客さまに「再開してほしい、ないと困るんだよ」など、必要とされている言葉を聞くたびに「もう一度やってみたい」と思えるようになったのが再建のきっかけとなったようです。
しかし、津波により家業を失った近江さんたちはオープンまでの間、それぞれ県外で仕事をするなど大変な苦労だったようですが、「お客さまの応援してくれる気持ちに応えなければ」という気持ちだけで走ってきたと振り返ってくれました。

オープンが決まったとはいえ2年3か月の長い休業期間は「お客さんが誰も来なかったらどうしようと思った」と近江さんを不安にさせていたようです。
実際にオープンした今は「以前は私たちがやっている旅館にお客さまが来てご飯を食べて泊まって帰るということに対して何も思わなかったけれど、こうしてお客さまを迎え入れることはすごいことなんだって身に染みてありがたいと思えるようになりました。新しい場所と建物は、私たちも馴染のないところでやっているような不思議な感覚もあります」と今の心境も話してくれました。

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若女将の近江さん

宮古に人を呼べるような取組みを

近江さんは浄土ヶ浜旅館の若女将という多忙な毎日を過ごしながらいろいろな活動をされています。その一つが「昭和通りのおかみさんもてなしたい」という「昭和の親しみやすさ」がテーマの宮古市商店街のおかみさんの会です。
宮古駅に降り立ち観光スポットの浄土ヶ浜へ行くには商店街を通ることから商店街に花を飾り、クリスマスの時期にはイルミネーションを飾るなど、とにかく宮古にきていただいたお客さまに「ありがとうと感謝を込めて、もてなしたい」とほっこりするような活動しているようです。

さらに近江さんは「今後は本当の観光の町としてもとに戻れるように町おこしをしないと長い意味での観光の町は続かない。浄土ヶ浜にまつわる歴史起こしをしてみたい」と歴史について調べ、近代海戦が歴史上はじめて行われたといわれる「宮古湾海戦」を知り「浄土ヶ浜がきれいなだけじゃなくて面白いところがまだあるじゃない」と女子3人を中心に「宮古湾海戦の会」を結成し活動しているそうです。現在はいろんな人を巻き込んで団体を含めれば50人の規模になるといいます。
宮古和海戦の会では「各地でのお祭りへ参加し、全国のみなさんが集まるサミットには行くことにしている」とイベントに参加しながら宮古のアピールも忘れていないようです。

「旅館業をやっているので、お客さまをここでお料理を出して待っているだけじゃなく、町にお客さんを呼べるような取組みをしたい。まず、宮古に人を呼ぶことから始めた方がよいのでは」と震災後強く思うようになったといいます。

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白い壁に赤銅色のラインが特徴的

宮古港開港400周年の節目に向けて

2015年に宮古港開港400周年を迎えるそうです。その節目となる年に向けて観光の町をアピールしようと宮古市をはじめ団体、個人までさまざまな動きがあるようです。
宮古市で行った「第1回宮古市Sea級グルメコンテスト」では浄土ヶ浜旅館の「あんかけウニ飯」がグランプリを受賞し、浄土ヶ浜旅館と味処海舟のオープンと重なるなど、観光の町宮古をアピールするために一役かっているようです。
さらに、近江さん個人としては「宮古港海戦の会」の全国サミットを宮古で開催し、「これだけ町が元気になりましたとみなさんにお伝えしたい。一昔前の魚菜王国岩手の頃のすごく観光が盛り上がっていた時代の宮古に少しでも近づいていきたいという思いがある」と節目に合わせて観光の町宮古の復興を重ねているようでした。

「震災の前、20代30代には町おこしをやろうと思っている人は少なかった。でも今は、これから自分たちが宮古で生きていくためにはどうしたらいいのだろうという危機感を表に出すようになったことでまとまりが生まれ、活動につながっています」と、若者たちとさまざまなイベントで交流している近江さんは、地道に活動しながら変わりはじめている若者を感じ取っているようです。

「若女将っていう響きも意外と珍しく、特に岩手県では数えるほどしか若女将っていないので貴重なポイントかなと自分で思っています。今は女系で代々継いでいくっていうのは本当に貴重だといわれておりますが、その貴重に気づいたのは最近なんですけど、良かったら見にきてやってください」と笑顔で話してくれました。
近江さんは本当にアクティブな方で、浄土ヶ浜旅館の若女将という仕事のかたわら宮古のため、浄土ヶ浜のためにさまざまなイベントに参加しては人とのつながりと観光の町として伝える活動を楽しんでいるようでした。

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料理とおもてなしが自慢です

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宮古市Sea級グルメコンテストグランプリの「あんかけうに飯」

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朝食もボリューム満点です

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