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味に一切の妥協なし!震災を乗り越えた、こだわりの手づくりキムチ

2017.02.02

有限会社趙さんの味

1987年に仙台で設立したキムチ専門店です。韓国の味を受け継ぎながらも、日本人の舌に合うようにアレンジが加えられたキムチは全国で大人気。トマトキムチやほやキムチなど、種類も豊富です。安心して食べられるように」と保存料や着色料は一切使っていません。

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おばあちゃんに教わった、本場のキムチの味を伝えたい

韓国には、「薬念醤(ヤンニョンジャン)」という言葉があります。「まるで薬のように、体に良い食べ物」という意味で、「食は体をつくるもの」と考えられています。李香星(いー・ひゃんそん)さんは、その考えのもと、「体に良い食材を使って、健康になれるようなものを」と、保存料や着色料を一切使わないキムチをつくっています。

仙台でキムチの店を始めたのは、李さんのお母さんです。1987年のことでした。韓国で生まれ育った祖母の味を広めていきたいと、本場のつくり方にこだわったキムチをつくり続けていました。

仙台を離れ、東京で仕事をしていた李さんはある時、スーパーで買ったキムチの味に衝撃を受けます。「これがキムチ--?」

韓国では、キムチは手づくりするのが一般的です。李さんもそれまではおばあちゃんやお母さんがつくったものしか食べたことがありませんでした。その味に比べると、市販のものは旨味や辛味などが足りず、全体的に味に深みがないように感じられたのです。「本物の味を伝えていかなくては!」そう決意した李さんは東京から仙台へ移住し、お店を継ぐことにしました。contents_image1.jpg

趙さんの味のキムチは、仙台市宮城野区にある直売所のほか、全国のスーパー、通信販売で買うことができます

「これから」という時に起こった震災

店を継ぐと決めたものの、李さんはそれまでキムチづくりをしたことがありませんでした。まずは、つくり方を創業者であるお母さんに一から教わり、必死で覚えていったといいます。ただ、韓国の味をそのまま再現するのではなく、日本で受け入れられやすいよう、アレンジも加えました。また、さまざまなレシピを研究しては少しずつ改良を続け、李さんは自分だけの味をつくり出していったのです。

「どれだけ手間がかかっても、おいしさのためには絶対に妥協しない」--李さんのその想いは味に反映され、ファンが増えていきました。添加物を極力使わないという方針も評判となり、完全無添加のキムチは地元の生協に広く置かれるようになったばかりではなく、東京の百貨店や高級スーパーでも取り扱われるようになりました。

コツコツ実績を積み重ねてきた李さんは、2011年2月、長年の念願だった工場を新設しました。しかし、そのわずか1カ月後、あの震災が起こったのです。海の近い蒲生地区に建てた工場は、津波で流されてしまいました。ようやく、という時にすべてがなくなり、走り続けてきた李さんの足が止まってしまいました。contents_image2.jpg

季節によって塩の量を変えるなど、手間を惜しまず丁寧につくっています

「どうしてももう一度食べたい!」全国から届いた声

「前に進めず、時間が止まったようでした」震災当時のことを、李さんはそう振り返ります。これからどうなるのか、店を続けていくことができるのか...。何をして良いのかわからず、呆然とする日が続きました。廃業をすることも考えたといいます。

そんな時に支えとなったのは、お客様からの声でした。
「大変だろうけど、ぜひお店をまた開けてください!」
「どうしてもあの味が食べたいんです」
「再開を楽しみにしています」
全国から手紙が届き、スーパーにも問い合わせの電話が相次いだそうです。取り扱い店からは「ずっと待っていますから」と声をかけられました。商品が欠品すれば、通常は別の商品で棚を埋めてしまうものです。それが、李さんのためのスペースをずっと取っておいてくれたのです。

当時のことを思い起こすと、今でも李さんは胸がいっぱいになります。
「今までまじめにキムチをつくり続けてきて、本当に良かったと思いました。自分のこれまでの人生に答えが出たような気がしたんです」contents_image3.jpg

全国のファンが心待ちにしていた李さんのキムチ。塩辛や野菜、果物など、10種類以上の食材が使われています

止まっていた時間がようやく動き出した

全国から届いた温かな声に、再建を決意した李さん。2012年7月、店舗と工場の場所を移して、「趙さんの味」は営業を再開しました。「待ってたよ!」生協を訪れた際には、40人もの従業員の人たちが出迎えてくれたそうです。また、それまでのお客様がどんどん新しいお客様を紹介してくれるようになりました。震災を経て、人とのつながりは広く、深いものになったといいます。

「震災は、できれば経験したくはありませんでした。ただ、あの出来事があったから出会えた人がたくさんいます。たしかにつらい思いをしましたが、それ以上に素晴らしいものをもらったのだと今は思っています。待っていてくださったお客様をはじめ、周りの人たちとのつながりには本当に感謝しています」

これからは宮城の地物にこだわって、「仙台のキムチ」をつくりたいという李さん。県内産のラ・フランスをキムチに加えたり、ほやのキムチをつくったりと、既にさまざまな商品を開発しています。震災を乗り越えた李さんは、これからもキムチづくりに妥協しません。contents_image4.jpg

オイキムチ、カクテキ、チャンジャなど、商品の種類はどんどん増えています

有限会社趙さんの味

宮城県仙台市宮城野中野字神明167-2

HP
https://www.chousan.jp/?fbclid=IwAR2ZgAMwPWg4mioJGm1Y0gXWODTXe2G8bAnH_lglSv3fIsttMbODyq8j3rY
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