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食べさせるために、私は生きる

2023.03.10

宮城県南三陸町「農漁家レストラン 松野や」 松野 三枝子さん

南三陸町の内陸部に「農漁家レストラン 松野や」はあります。かつてはがんで余命宣告を受けながら、震災を生き抜き、食べさせることで人を励まし続けてきた店主・松野 三枝子さん。地元の野菜や海産物を使った料理を、住まいや家族を失った人たち、復興工事に携わる人に安く提供しました。フードイベントへの出店や語り部としても活動する松野さんにお話を聞きました。

復興を陰で支えたワンコインの定食

のれんをくぐり、松野さんの明るい声に促されて、ヒノキの床が気持ちの良い店内へ。南三陸町の海沿いから内陸へむかう国道沿いにある「農漁家レストラン 松野や」は震災の3年後にオープンし、被災した人たちのお腹を満たしてきました。

食材は、松野さんの畑をはじめ地元の野菜と、漁師から仕入れる海産物。日替わりのおかずに、具だくさんの海鮮はっと汁、ご飯は炊き立てを食べ放題です。なるべくワンコインでおいしくてお腹いっぱいになる定食と、誰もが大好きなカツカレー、ラーメン、唐揚げという親しみやすいメニュー。漁師の知り合いも多い松野さんですが、松野やのメニューには、生ものはありません。「さんさん商店街を応援したいからね」と松野さん。刺身などはそちらに任せることにしています。

復興工事に関わる人が町に大勢いた頃は、30席の店に一日300人を超えるお客さんが並んだことも。近くに仮設住宅が建ち、そこで暮らす人もよく来てくれました。家族がみんな津波で流され、ひとりぼっちになったお年寄りも常連さん。湯も沸かしたことのないおじいさんは、松野さんの店に助けられました。

「松野さんとこさ来ると、賑やかでええな。おかずもいっぺえあるし」

料理だけでなく、松野さんの温かい人柄もまた松野やの魅力。大きな病気と震災を乗り越えての半生でした。

松野や⑤.jpg

ヒノキの床が気持ちの良い店内

 

術後の入院中に震災に遭う

仙台の病院でガンの大手術を受け、地元志津川に戻って療養していた松野 三枝子さんは、その日病院の広い浴槽に一人で浸かっていました。5年前に余命宣告を受け、食道、胃、脾臓、胆嚢、胆管、腎臓を摘出。リンパ節も百数十箇所以上切除し、2週間ほとんど寝たきりで輸血と点滴で過ごし、ようやく起き上がっての入浴です。湯の中で久しぶりに手足を伸ばしたのも束の間、激しい揺れに仰天します。ダッバーン、ダッバーンと大きく波打つ浴槽の湯に翻弄されながら、松野さんはある予感に総毛立ちました。

「津波が来る...」

昭和28年生まれの松野さんは、小学校1年でチリ地震を経験し、妹と祖母を津波で失っています。志津川病院の裏手の実家から、追いかけてくる津波を振り返りながら走って逃げた恐怖は忘れることはできません。

公立志津川病院は海から約400メートル。私もここで終わりか、と思った時、ひときわ大きな揺れに風呂場の入り口のサッシがカラカラーッと開き、大量の湯もろとも松野さんは脱衣場に投げ出されました。たまたま通りがかった看護師に見つけられ「松野さん、津波が来る!」 バスタオル1枚を巻いて、助けられ廊下を必死で走りながら、防潮堤の上に真っ黒い巨大な波が立ち上がるのを見ました。屋上につながる新館の階段に引っ張り上げられ足をかけた時、3階まで水がダーッと流れ込んだのです。

お尻を押されて屋上にはい上がり、「あ、実家は?」と病院の裏手を見おろした瞬間、実家の建物は潰れ、町はすべて濁流に飲み込まれました。松野や⑥.jpg

松野さんは小学校1年でも津波を体験

 

震災前から、フードイベントで大人気

港近くで惣菜店と精肉店を営む家の娘として、幼い頃から調理に親しんできた松野さん。昭和の志津川漁港はサンマ船やカツオ船でにぎわっていました。新鮮な魚で腕をふるう母に仕込まれ、大人顔負けの手つきで天ぷらを揚げる少女は、料理自慢の女性に成長しました。

19歳で内陸部に広い土地を持つ農家の嫁となってからは、漬物屋を営みながら大家族の膳を整え、時折県内のフードイベントで出す海産物料理が大好評。はっと汁、ウニ飯など、おいしくてボリュームたっぷりの松野さんの出店目当ての人が押し寄せる人気ぶり。いつかレストランを出せたら...というのが夢でした。

ところが、仙台でのイベント中に倒れます。スキルス性胃がんが見つかり、複数の内蔵に転移。53歳で余命宣告を受け、震災時は再発を疑われての療養中でした。

震災当日、津波は何度も引いては押し寄せ、その度に病院の建物は不気味に揺れます。「ここもつぶれて、俺たちも流されるのだろうか」 そんな声を聞きながら、恐怖と寒さ、飢えに震える一夜を過ごしました。

翌日、松野さんは患者輸送ヘリを断り、家に帰ることを選びます。病院職員の女性の肩を借り、無惨に変わり果てた街を抜け内陸へ歩いて帰りました。命からがらたどり着いた家で待っていたのは、被災した28人もの親戚。松野さんは素早く考えを巡らせ、病身にもかかわらず決意したそうです。

農家だから米はある。大きな冷蔵庫には、フードイベントに備えて海産物のストックもある。業務用のガス炊飯器は、漬物工場から母屋の台所に移そう。

「私がご飯を食べさせなくちゃ」

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海鮮丼(うに、めかぶ、とろろ、とびっこ) は、フードイベントで人気のはっと汁付き

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こちらは海鮮焼きうどん

家族を失った人、家を流された人に
お腹いっぱい食べさせたい

28人を食べさせるだけではなく、松野さんは避難所となった公民館や体育館で炊き出しをはじめます。自分の病気のことなど考えてはいられませんでした。

「家族や家を失った人たちに、温かいご飯をお腹いっぱい食べさせたい」

その一心ですが、被災者は多くいくら炊き出しをしても追いつきません。

「自分のレストランを建てて、そこに食べに来てもらったらどんなにいいだろう」

4月、テレビで放映された炊き出しの模様は多くの宮城県民が見ていました。仙台の病院から、びっくりして電話がかかってきました。

「松野さん、生きてたか! すぐに来なさい。あんたは消化器がないんだから、薬がなきゃ消化できなくて死んじゃうよ」

薬を飲みながら夢中で炊き出しを続ける日々、2カ月後に検査するとなんとがんは消えていたのです。

「やった、レストランができる!」松野さんは小躍りしました。

ご主人と息子さんの協力で田んぼ1枚分の用地を整備。棟梁の勧めで、松野さんはヒノキの床にこだわりました。靴を脱いで、実家に帰ってきたような感覚で安心してくつろいでほしいからです。

松野や④.jpg

松野さんへの感謝の便りや寄せ書き、新聞記事、被災地慰問で交流のあった力士のサイン...
お店の壁は、復興と共に歩んだ松野やの歴史で埋め尽くされています

南三陸ののぼり旗は
生きることの証し

大漁旗が鮮やかな松野やの店内は、松野さんへの感謝の便りや寄せ書き、来店した人との写真など、開店からこれまでの思い出で埋め尽くされています。三陸道が開通して店の前の国道の交通量が減り、お客さんは少なくなりました。けれど、かつて復興工事に携わっていた人が「お母さん、僕のこと覚えていますか」と家族を連れて来てくれることも。

コロナ禍も収束傾向にあり、店内のカレンダーにはマルがつく日付が増えました。松野さんの出店を待つフードイベントです。南三陸町の「潮騒まつり」はゴールデンウィーク恒例。去年はお姑さんの葬儀と重なり出店できませんでした。仲間の若い漁師さんたちが「お客さんが「おばちゃんのウニ飯やはっと汁ねんだっちゃ」と帰ってしまった。来年の5月は必ず出てけろ」と、わざわざ訪ねて来たそうです。松野さんは今年70歳。イベント出店はそろそろやめようかとも思いましたが、しばらくは引退させてもらえそうにありません。

声がかかれば仙台市内のイベントにも出店します。震災で何もかも失い、南三陸を離れた人たちは多く、あまりに悲しいことが起きたふるさとに二度と行きたくないという人もいるそうです。でも、南三陸ののぼり旗を見つけて、松野さんに泣きながら抱きついて来た人もいました。親戚の家もすべて流され、帰っても休む場所もないと言う人には、松野やをふるさとの家にしてほしいと言います。

今の松野さんにはライフワークがもう一つ。松野さんの震災と病気の体験談を聞かせてほしいという学校や、がん患者さんの集まりなどが少なくないのです。

「自分は生かしてもらいました。亡くなった人たちのことを忘れないためにも、生きて料理をして話をしたい。私がレストランを実現できたように、生きていればきっと夢がかなうということを、子どもたちや希望を失いかけている人たちに伝えたいと思います」

 

松野さんは今月もどこかのイベントで南三陸ののぼり旗を立てます。それは、頑張って生きていこうというメッセージです。

松野や⑧.jpg

松野さんの講話を聞いた札幌の小学生から、たくさんの手紙が寄せられました

■外部リンク
松野やさんがせんだいタウン情報 S-style 2023年3月号の表紙に掲載されました!
S-style2023年3月号(vol.699) | 日刊せんだいタウン情報S-style Web (machico.mu)

関連するサイト

南三陸の新しいさんさん商店街
https://rainbow.nttdocomo.co.jp/tohoku/go/post-291.html

農漁家レストラン 松野や

〒986-0782
宮城県本吉郡南三陸町入谷字鏡石23-5
電話番号  0226-46-4986
営業時間  11:00~14:00
定休日 水曜日・日曜日

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